世間は選挙一色のこの週末でしたが、私はといえば高3の特訓授業で全力投球。選挙カーから流れる声を尻目に世界史を教えていると、とても不思議な気分になります。 例えば古代中国の租税制度について学ぶとき、生徒達にとってそれはただ難解な言葉の羅列にすぎません。「一条鞭法」とか「両税法」とか試験に出るから覚える。ただそれだけです。でも、それは無理からぬこと。税制というのはとてもやっかいで、背後にはその国の経済・政治の状況が分厚く横たわっています。さらにその状況の理由を探れば、世界全体の経済の変化に行き着きます。ある税制がどのようなものかを答えるには一言で済みますが、その税制が採用された「理由」を理解しようとするととんでもないことになってしまうのです。大学入試を控え、必然的に効率を求めざるを得ない高校生は、当然のことながらある一定のラインで理由をさかのぼることをやめなければいけません。そして我々世界史の講師の仕事は「どこまでさかのぼるべきか、どこからはやらなくてよいか」を伝えることになります。 実はこの状況は、現代の私たちの生活でも同じです。今回の選挙の大きな争点の一つである「消費税」についても、それが「なぜ」採用されているのか、「なぜ」採用すべきなのかを追いかけていけば、日本の戦後史を総ざらいすることになるでしょう。少なくともバブル景気の時代からしっかり理解していかなければなりません。しかし、現実問題としてそんなことはできない。そこで、かなり範囲を絞った要点だけの解説が求められるわけです。選挙の時期になるとTVのワイドショーや選挙特番で大学の先生やタレントが盛んに「解りやすい」解説をしますが、きっと彼らも「どこまでさかのぼるべきか」悩む瞬間もあるのでしょう。
解りやすいことはよいことか
塾の講師は一般的に「解りやすい授業」を求められます。複雑な内容の要点を整理し、生徒が効率よく知識を吸収することを助けるのが授業であり、その授業にこそ学生(の親)は授業料を払います。我々塾の講師もそのことはよく分かっています。「解りづらい」と言われるととにかく不安になりますし、なんとかして理解させなくては、と焦りを感じるのは、この仕事をしている者のもはや本能といってもよいでしょう。 一方で、大学の先生の授業は一般に「解りづらい」と言われます。しかし、先生方は特に危機感を感じることはありません。大学で行っているのは「学問」であり、解りやすいことよりも、正確性であったり理由の追及であったりが目的になっているのですから、解りづらいと言われても特に気にならないでしょう。しかし、正確性がない、あるいは原理の追求が甘いと言われれば、自身のプライドにかけて是正しようとするでしょう。 でも、本当はこの状況、かなり歪ですね。学生達は大学に入るまで9年間学校で学びます。さらに、塾に通う生徒はプラスアルファで勉強に時間をかけるわけです。この膨大な時間が「効率」に費やされ、最後の4年間だけしか「学問」に触れられないのであれば、それはとても残念なことです。前にこのブログの記事でホームスクーリングについて触れましたが(⇒エリート教育2.0②)、ホームスクーリングの強みは学校の指導要領という枷を無視できるところにあります。この単元はここまで、と決められてそれをベースに入試が行われる場合、本気で学問をするにはとても窮屈な状態になります。しかし、この枷を外すことができれば、解らないことをとことん追求する余裕が生まれます。 ホームスクーリングが違法になる日本では学校教育の時間を丸々置き換えることはできません。そこで目をつけるべきなのは、「プラスアルファ」である塾です。国の規制を一切受けない私教育機関としてその利点を十全に活用できるのは、効率のよい知識の伝授ではありません。「学問」の場であること、つまり、小学生から高校生の生徒達が通える「大学」であることです。そう考えた場合、我々そこで教える者にも覚悟が必要です。半ば本能と化した「解りづらい」に対する恐怖に耐え、一歩踏み込んでいく勇気を持つ必要があります。少子化から生徒獲得競争が激しくなる一方の塾業界ですが、ワイドショー的解説に磨きをかける方向性ではなく、まったく新しい自己の定義が必要なのかも知れません。
教育を議論のテーマにする時代が来たのでは無いですか❔ 早くやらないと、ツーレイトになってしまうのでは無いですか?秋本さん、お忙しいとは思いますが、時間があれば、話合う機会を持って頂きたいと思います‼65才の老人より!
こういう観点で塾や学校での学習を語る人がいなくなりましたねえ。
本当は学校での授業で遠回りしても時間をかけて教えて行ける環境を作れるといいのでしょうが物理的に無理ですからね。
学ぶことの楽しさを教えるのは楽しいですよね?
コメントありがとうございます。
普段生徒と接している立場だと、物理的な制約を強く感じる瞬間も多くありますね。特に塾では…。
ただ、いったん教育を掲げた以上、できる限り理想を求めていきたい気持ちが強くあります。
アレクさんがおっしゃる通り、学ぶことの楽しさを伝えられれば、それがなによりの報酬です。
教育研究所ARCS 庄本廉太郎