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子供に「だんだん苦手な教科が出てきたが、どこがわからないのかがわからない」と言われた

中高問わず、生徒と話していて必ず聞くのがこの台詞です。そして、保護者の方がお子さんと話していて、最もショックを受けるのもこの台詞。今回はこの、奥深い「どこがわからないのかがわからない」について書いてみましょう。

回答者:庄本 廉太郎

最初から核心を書いてしまうと、この台詞には二つの意味があります。一つ目は「(ある単元、分野の説明を)一回聞いたが頭がこんがらがったので、(面倒くさいから)あきらめた」。二つ目が「必死で理解度の穴を探そうとしているが、なかなか見つからない」です。つまり、この言葉が出てくるのは、勉強に対して全く本気で取り組もうとしていない場合か、全身全霊をかけて取り組んでいる場合かの両極端なのです。

まず、受験学年の生徒以外の場合、多くが前者です。子供からすれば、この台詞は魔法の言葉なのです。勉強を怠けた末に悪い点数をとっても、この台詞を深刻そうに言えば親は大抵許してくれます。努力ではなく、やり方が問題なのだ、と。同種の言葉に「勉強の仕方が分からない」というのもありますね。

一方で、受験学年になって本格的に勉強をやり出してからのこの言葉は本物です。塾に通わせている場合には塾の講師に、通わせていない場合には学校の先生に相談した方が良いでしょう。本当の意味で“分からないところが分からない”状態になっている場合、問題を発見し、解消するためにはかなりの労力と技術がいります。例えば、車を走らせていたら急に調子が悪くなって止まってしまったとき、車の専門家ではない人がいくら原因を探ろうとしてもうまくいかないでしょう。この場合、対象は機械ではなく人間、しかもその中でも最も複雑な「思考」に関わるものですから、原因究明の難度は跳ね上がります。

つまるところ、この問題に関して保護者の方がお子さんにしてあげられることはほとんどありません。しかし、「判断」をすることはできます。子供の台詞が本当のことなのか、それとも”魔法の言葉”なのか。一般的に、どの教科も中学生までの内容であれば、「時間をかけること」で問題を解決することができます。まずは子供が勉強に「時間をかけているか」を確認してください。定期テスト準備であれば、最低限教科書の一読と各種ワークを二周していなければ、まだ時間をかける必要があります。そこで安易に「魔法の言葉」を聞き入れてしまうと、子供にまちがったメッセージを送ることになります。

かなり冷たい答えになってしまいましたが、特に小学生、中学生までの段階で「勉強には時間と労力がかかる」ことを伝えられないと、その後非常にまずい事態に陥ってしまうのです。ちょっとやってみるが結果が出ず、結果が出ないことによって自分には才能がないと結論づけ、ますますやる気がなくなるという悪循環に陥り、結果自分の可能性を閉ざしてしまう生徒が高校生によく見られます。
お子さんがそうならないためにも、魔法の言葉を安易に受け入れないようにしてください。

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