クリスマスが終わると、一気に年の終わりを感じさせます。ついさっきまで赤と緑が氾濫していた街も瞬時に純和風に早変わり。毎年のことながらこの切り替えには感動します。
さて、今回は時期も時期なので「お正月」についてです。日本の季節行事の中で最も重要であるといっても過言ではないこのお正月ですが、そこで行われるイベントの内容はある意味節操がありません。神社にお参りするのかお寺にお参りするのか、普通は家の近所にどちらがあるかで決めていますが、よく考えてみると結構スゴイことをしているわけです。キリスト教の寺院とイスラム教のモスクのどちらか近い方に都度都度お参りをするなど、絶対に考えられません。そんなわけで、初詣は日本の宗教に対する寛容性(あるいは節操のなさ、あるいは無知)がはっきりと示された事例としてよく取り上げられます。
実はこの「宗教に対する寛容性」、世界史の授業をやっていると結構困ります。高校の世界史はその内容の半分近くが西欧史で占められており、西欧史の七割ほどはキリスト教と関わってきます。ある歴史的な事件の理由を考えるときはまずキリスト教との関係を疑うのがセオリーといっても過言ではありません。それほど重要性の高いキリスト教について感覚的な理解ができないというのは、かなりやっかいなのです。例えば、中世的な領邦国家から近代的な国民国家への変化のきっかけとなった「三十年戦争」も、キリスト教の人々への影響力を解っていないと、なぜここまで悲惨な殺し合いが飽きることなく続くのか、いまいちピンとこないでしょう。大航海時代やアメリカの西部開拓時代も、キリスト教の考え方が強く人々の行動に影響を与えています。
日本には体系的な宗教教育は存在しないといっても過言ではありません。これがよいことなのか悪いことなのかは解りかねますが、特定の宗教の内容を伝えるのではない、「宗教とはなにか」を伝えることは必要であるように思います。お正月のスゴさを自覚するためにも是非! そんなことを考えた年の瀬でした。
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