塾の講師のお仕事は第一に授業ですが、もちろんそれだけではありません。授業に劣らず大きなウェイトを占める仕事としてテスト作成というのがあります。私が子供の頃は、手書きの文章がわら半紙に印刷されたものがまだ残っていましたが、今では手書きは絶滅し、ワープロ作成のものに取って代わられています。そんなワープロ作成のお供が「マイクロソフト ワード」。これまた昔は「一太郎」というライバルソフトがあったのですが、最近は「ワード」の一択になっているようです。
このワードというソフト、実はかなり奥が深いことが最近分かりました。解説書を読み込んでやり方を学んだ上で作ってみると、非常に完成度の高いレイアウトのものができあがるのです! これまでは正規のやり方とは違うやり方で無理矢理やっていたため、表面上はかっこよく仕上がっているのに、少しでも文章を変更してしまうと一気に全体のレイアウトが狂っていました。そのときの絶望たるや! そんなことを繰り返すなかで、「綺麗なレイアウト」を目指すモチベーションを失っていきます。結果として、高いワープロソフトを使っているにもかかわらず、できあがるものは手書きとさほど違いがない、非常にクオリティが低いものとなっていたのです。
この経験から「習うより慣れろ」は必ずしも正しいとはいえない、ということが分かります。慣れは確かに重要ですが、新たなやり方を常に模索する意識を持たないと成長はありません。一つの行為をなめらかにこなせるようになったとしても、その行為自体が間違っていては元も子もありません。今回の経験では、わたしは解説書から「習う」ことができました。そして、この「習う」をもっと早くやっておけばよかったと後悔しています。
しかし、我流でやることを極端に忌避するのもまた違うような気がします。もっと早く習っておけばよかったという後悔も、これまでの試行錯誤があったればこそ、なのです。もしパソコン教室で何気なく教えられていたとしたら、確かに効率はよいかも知れませんが、そこには感動はありません。
最近の生徒を見ていると「予習」を恐れる人が多いように感じます。まだ学校(や塾)で習っていないところを自分で進めるのがなにか悪いことであるかのように思っているのです。これは、一つは学校のカリキュラムや進度を絶対視する習慣が染みついていること、そしてもう一つは「自分の力を信じていない」ことに起因します。生徒達が言う「習っていないからできなくて当たり前」というのは、教える機関やシステムが身の回りにあふれているために、それらの機関やシステムを抜きに行動することが考えられなくなっているがゆえです。だからこそ、逆説的に、教える機関である「塾」で、教えられていないことをやれ、と伝えなければなりません。教えてもらうことを求めて塾に来る生徒達は面食らうかもしれません。しかし、それでもなお自分でゼロから試行錯誤する経験をしてほしいと思います。
我流でやり過ぎるのもよくないし、習うことだけを重視するのもよくない。つまり、バランスが求められます。学校に比べて格段に生徒と近いところで授業ができる塾だからこそ、このバランスを伝えることができるのかもしれません。
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