教育研究所ARCS

親から受け継いだ価値観を見直そう

教育・子育て

前回から引き続いて、親の子に対する影響とその連鎖についてお話します。

私たちは赤ん坊として生まれてきたときはとても無力な存在でした。無力であると共にあらゆる可能性を秘めた白紙の状態でした。
この、無力であることと無限の可能性という2つをあわせもって私たちはこの世に生まれてきたのです。

さて、ご存知のように肉体的にまったく無力であることは養育者に全面的に依存しなければ生きていけないことを意味します。養育者は普通親であるわけです。とりわけ乳を与えてくれる母親の存在は赤ん坊にとって絶対的なもので、赤ん坊は早くから母親の顔色や気分に敏感に反応するようになります。

子どもは親の保護を失ったら生きていけないことを本能的に知っているからです。従って乳児期~幼児期の子どもは親に嫌われないよう、生存をかけて親につき従うようになります。

この時期に母親が不安定であったり、気分や行動に一貫性がないと子どもは「世界とは信頼できないもの」という不信感を植えつけられ、反対に母親が幸せで歓びに満ちていると子どもは「世界は信頼に値するもの」と感じて育ちます。

こうして子どもは小学校低学年くらいまでに親の価値観-考え方ふるまい、他者や世界の見方-をしっかりと受け取り根づかせてしまうのです。成長してからいくら親に対して批判的、否定的になろうと1度受けついだ価値観は無意識に残り続けるものです。
そして生まれたときは無限にあった可能性がせまく限定されたものになるのです。

先まわりして子どもを心配する親

最近、子どものことをやたら先回りして心配する親が増えている気がします。
単に性格的に心配症だからという人もいますが、ずっと先々のことを考えて、失敗を回避しようとする親です。
まだ小学生なのに「算数ができないから高校受験の内申書に響くのが心配」とか、幼児園児で行動が遅いと「学校に行くようになったらノロマだからイジメにあうのではないか…」など、起こってもいないこと-しかも遠い将来に起こるかもしれないこと-をやたら先回りして心配するのです。

こういう親の口グセはこうです。
「そんな危ないことやっちゃダメ」
「いま勉強しないと将来困るぞ」
「世の中は厳しいんだ。そんな甘いことでどうする」
「英語だけできてもダメ。万べんなく点をと入りなさい」
「カンタンに他人を信用しちゃダメ。だまされるよ」
等々

こういう人は自分の親からも口やかましくアレコレ束縛されてきた可能性が高い。そしてマジメな人が多い。本心ではもっと自由になりたいとは思うものの、これが正しいと信じ込まされてきた結果他の選択肢が浮かばないのです。

さらにこのタイプは高度成長期に生まれている人が多いのが特徴。当時の日本は急速に豊かになると共に、人々の生き方も画一化が進んだ時代です。
一例をあげるなら、「少しでも良い学校へ行き大きな会社に入るのが幸せ」というものです。
人が幸せになるには様々の生き方(レール)があると考えるのではなく、有名校→大企業のように一本のレールを歩まねばという画一的価値観です。
そしてそのレールから外れる事は「人生の敗残者」になるというおそれです。
1960年代~70年代半ばくらいに生まれた人は親からこのような価値観を植えつけられている可能性が高いと思います。
終身雇用制や企業の福利厚生がやっと充実してきた時代。親たちは子どもにガンバってそのレールを歩まそうとした。
中学受験や学習塾がレールに乗るための先回り手段として登場してきたのもこの頃です。

しかし今や時代が変わり「幸せへのレール」は一本ではなく再び複線になり、多様な生き方が選択可能となっています。むしろ人生は多彩ないろどりに包まれこれまでにないほど可能性に満ちた時代になっています。
それなのに、親から受けついだ「ひとつだけのレール」を我が子に歩まそうとするのは、子どもの可能性を制限する行為に等しいといえます。

「先回りの心配」を手放してもっと子どもの可能性を信頼してみて下さい。
そのためには自分の「心配」が子どものためを思ってのものというより、自分の親から受けついだ「特定の時代にしか通用しない価値観の一つ」であり、子どもの自由に対する足カセに過ぎないことを自覚してみて下さい。
そして自分こそが親の敷いたレールを歩まされたのではないかと疑い、そのレールを外してみて下さい。そうすれば「心配」という足カセではなく真の自由を子どもに与えることができるでしょう。

最後に

私たちは実に様々な価値観や信念を抱えて生きています。そしてそれらを自分で身につけてきたと思いこんでいますが、多くは親や社会から身につけさせられてきたものなのです。
私たちは社会的生物として世間のルールや常識、時代的価値観に従わるを得ないのは当然ですが、絶対の真実としてそれらに支配されガンジがらめに囚われてはいけません。

ルールはルールとして尊重しながらもそれらを俯瞰し、距離を取る姿勢も重要です。
なぜなら、かつては有効だった価値観や信念も時代とともに変化するからです。
そして何より古い価値観に囚われている限り今の現実を正しく見ることはできません。
「今ここの現実」を過去のフィルター越しに見るようなものだからです。

特に親子関係においては、親から被せられたフィルターを外すことは難しいものなのです。
親の皆さんにお願いしたいのは、いまいちど「自分が親から譲り受けたもの」が何なのか考えて欲しいということです。
ゆっくり時間を取って思い出してみて下さい。

「いま自分が子どもに口ぐせのように言っている言葉は、親から自分が言われていた言葉ではないか」
「自分が子どもに、こうあって欲しいと望む事柄は自分が親に期待されていたのに応えられなかったことではないか」
「なぜ子どもに、つい○○と言ってしまうのか。それは本当に○○が正しいと心から思っていることなのか」

その上でさらに自問してみましょう。
「子どもに勉強して欲しいと思うのはナゼか」
「○○することは危ないと子どもに言ってしまうのはナゼか」
「そんなの常識だ」とか「子どものためを思うならそれが当たり前だろう」などと思考停止におちいらず、白紙状態で自分の心の奥底に聞いてみて下さい。

常識だとか当たり前こそがフィルターそのものだと自覚して下さい。きちんと「自分の言葉」でなぜそれが子どものためなのか捉え直して下さい。
反省しろとか子どもにウルさく言うなと言ってるのではありませんから注意して下さい。

1度でよいからこのように我が子との関係を「自分の親との関係」という視点から捉え直してみて下さい。何か気づけるのではないでしょうか。

もちろん自分の親との関係を思い返したとき、そこには良い記憶もいっぱいあるでしょう。

親がいかに自分を愛していたか気づくかも知れません。あるいは、もう手放してしまったほうがよい「悪影響」に気づくかも知れません。気づいたら感謝して手放しましょう。
いずれにせよ無意識で被っていたフィルターの数々に気づくことができれば素晴らしいことだと思います。気づけばフィルターは自動的に外れるからです。
フィルターが外れると我が子の真の姿に気づくことができます。

そうなればあなたの言葉ははじめて子どもの心に届くでしょう。なぜならそれはフィルターが言わせた言葉ではなく、あなたの真実から出た言葉だからです。

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