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朝起きられなくてもいいじゃないか!

教育・子育て

朝起きれなくてもいいじゃないか

先週は体調不良でブログ書けませんでした。決して連休中で遊びまわっていたわけではありません!

ところで、自慢するわけではありませんが、私は長い間夜昼逆転の生活を送ってきました。
夜中の2時~3時まで起きていているのは普通で、明け方近く就寝し昼近くまで寝ていることも珍しくありません。

そもそも午前中いっぱいまで寝ているなど、世間一般の常識からすれば「人間失格(!)」の烙印を押されても仕方ないかも知れません。

しかし私はそんな生活をかれこれ40年以上続けているのです。

「それは塾の先生だったからでしょ?夜遅い仕事だし…」

そう思う人もいるようですが違うのです。
夜遅い仕事だから昼夜逆転になったのでなく、むしろ昼夜逆転の人間だから塾の先生になったのです。

つまり私の場合は仕事のせいで夜型になったのではなく、元々夜型人間だったから「夜の仕事」についたのです。よく言えば自分の特性を生かしたということです。

ただ困ったこともあります。昔、妻が近所の人に私の職業を聞かれて「夜の仕事です」と答えたことがありました。
妻としては、夫がいつも午後から起きてきて仕事に出かけるのを逆手にとってユーモラスに答えたつもりだったのですが、それ以来しばらく近所で「あそこのご主人はホストらしい」というウワサ(笑)が流れたことがありました。

さすがに少し驚きましたが、敢えて訂正せずにそのままにしておきましたが…。

さて思い返してみれば、私は子どもの頃から夜型でした。夜型人間は朝起きるのが辛くその代わり夜遅くまでなかなか寝つかれません。

そんな私にとって登校は大変な苦痛でした。
起きられないので毎日親から叱られ遅刻も多い。

オーバーに聞こえるかも知れませんが、小学生の頃私はこの朝起きて学校へ行くという行為が苦痛で「死にたい」とさえ思ってしまいました。この苦痛は高校卒業まで続きましたね。

とにかく当時の私は、朝早く起きるのがつらい、やせて顔色は悪く、一日何度も立ちくらみがする。ちょっとしたストレスがあると胃をこわし入院する。典型的な病弱者でした。

私は何となく「こんな自分ではまともな社会生活はムリだろうな」と予感していました。
「普通のサラリーマンにはなれそうもない」いつしかそんな風に決めつけていたと思います。そしてそういう自分を「社会的不適格」と見なしていました。

自分勝手な願望

しかし今なら「朝が苦手なのは自分の体質」だと堂々と言うことができるし、それも1つの個性なのだと主張することもできます。

ただ、当時は−今でもそうかもしれないが-「朝起きられないなんてのはタルンでる証拠だ!」という考えが普通でしたから肩身のせまい思いはしていました。

私の場合は恐らく低血圧が大きな原因なのでしょう。若い頃は40~60台くらいしか血圧がありませんでした。今は歳のせいで高くはなりましたがそれでも80台~90台くらいで100を超えることはまずありません。

とは言え、世の中には低血圧の人はたくさんいるはずで皆が皆私のように昼近くまで寝ているわけではないでしょう。
とすると、やはり私はナマケ者ということになります。

そんなナマケ者の私が高校を卒業した頃、ある決断をしたのです。決断といっても明確な形ではなく、何となく漠然と考えたといったほうが正しいかも知れません。

それは
「朝起きるのが辛いから普通の仕事に就けない」という考えを「朝早く起きなくても済む仕事をやれば良い」と逆転させたのです。

当時はそれが具体的にどんな職業なのか全く想像はできませんでした。ただ漠然と「朝早くから行かなくてもよい仕事につけばいいなァ」くらいの軽いノリだった気がします。きわめて自分に都合の良い願望ですね。
さすがにこんな自分勝手な願望は人には言えません。それでも大学時代もずっとこの願望を持ち続けました。
「朝早くから働かないでもよい仕事につく」
「好きなときに起きて好きな時間だけ働く」
「本を読む時間がたっぷりある生活」
「…それでいて経済的にもあまり苦しくない人生」

こんな虫のいい話、誰にもできません。

それでも私はこのような方針(?)を立てて皆が行う「就活」も一切やらず、自分にピッタリの仕事はどこかにあるはずだという思いで過ごしていました。

自分の弱味を強味に逆転する

その後紆余曲折(うよきょくせつ)を経て塾講師になったわけですが、なってみると正にこれは私の天職とも言うべきものでした。

何しろ朝早くから活動しなくて良い。昼近くまで寝ていたとしても出勤は午後から。本格的な授業は夕方からで、夜の10時頃にいったん終わるというサイクル。

そしてここで私は重大な発見をします。私は夜遅くなればなるほど頭がさえるという私の特性(?)がこの仕事にとってはとても有利に作用するということが分かったのです。

つまり授業が終わって生徒が帰っても、私の活動は終わらず、生徒の情報分析やミーティングなど深夜まで続けることができる。塾をつくって15年くらいは深夜から明け方まで仕事をすることも珍しくなく、そのことが結果として塾の評判に寄与したことは間違いのない事実です。

当時私の塾は深夜まで仕事をしている「熱心な塾」といわれましたが、それはあくまで1つの結果であって評判をよくするため意図したものではありません。あくまで私の「宵っ張り」が持たらした結果だったのです。
(もちろん今はそんな深夜営業はやりません。ブラック企業になってしまいます)

私はずっと「朝に弱い」人間であり、それは人間としての欠点だというコンプレックスを抱えていました。
しかしその「欠点」を正そうとしなかったおかげで仕事では成功したといえます。自分の「特性」に従ったおかげで身体も健康になりました。

つまり「朝に弱い」のではなく「夜に強い」という自分の特性を生かしたこと。自分の弱みは少なくとも強みであったことに気づいたのです

もし私が世間の常識(早起きは三文の得、成功者は早起きする)に負けて自分の「欠点」をムリに矯正しようとしていたらどうなっていたでしょう。
少なくともその後の人生の展開は全く違っていたでしょう。

欠点や弱点を見えるものは往々にして「強み」に転じる場合があります。同じく「強み」と思われるものが「弱み」になることもある。よくある話です。

なぜなら長所や短所、強み弱みというのはその状況における1つの見方に過ぎないからです。

そして長所とか強みというものは、たまたまその時代その状況における常識的な見解に過ぎず絶対的なものではありません。
だから人は、そのような「見解」に踊らされず自分の特性を生かすことを考えるべきです。

私の場合はたまたま「朝に弱く夜に強い」という体質の問題でした。それは基本的に「夜は寝て朝早くから仕事をする」という人間の生活サイクルから導かれた「常識」に反するから「良くない」とされていたわけです。

現在は24時間営業の仕事も珍しくなく、私のように深夜活動的(?)になる人間も当たり前に受け入れられる時代になりました。
常識そのものが変わったのです。
(というか「常識」というものは案外短いスパンでコロコロ変わります)

いま、自分に何らかのコンプレックス(弱点)を抱えている人に言いたいことは、自分が弱点と考えているその部分こそが本当は自分の「強み」かも知れないという見方をして欲しいということです。

世間の常識や他人の思惑に反するからという理由で自分を裁いたりせず、その「弱点らしき部分」こそ自分らしさを表す重要な要素と考えてみるということです。

それは自分を大切にすることであり、自分の特性を生かす道を探ることでもあります。

自分の特性を生かして生きることは幸福な人生に通じまた他者にも貢献することになるでしょう。

「朝起きられなくてもいいじゃないか。それを生かす道を考えよう。」と開き直ったことは、私にとって人生最良の決断だったとつくづく思います。

みなさんもどうか常識にとらわれず自分の特徴を大事に生かしていただきたいと思います。

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