入試シーズンも終わりに近づいているが、大学受験に関しては今は私大が真最中で3月に国公立大が控えている。
私事だが私の息子も受験中なので、落ち着かない親の気持ちは良く分かる。
ところで我が子が大学受験生になってひしひしと感じるのは、受験料が高いということ!大学は1人で7~8校10学部くらい受けるのは珍しくないので、受験料だけでも1校3万5千円として30~40万かかる。受かったら受かったでまた入学金など諸経費(私大だと寄附金もある)が何だかんだで百万近く要る計算になる。
理系(私大)ならもっとかかるだろう。
それだけではない、予備校の費用まで含めたら一体どれだけ出費するのか。自分が長く受験産業にいて言うのも何だが、これで子どもが2~3人いて皆大学に進んだら家計は火の車だ。
地方に住む人が東京などの大学に進学する場合は、アパート代や仕送りなどさらにかさむことになる。大学の授業料は原則奨学金でまかない、本人が全て後で払う諸外国と比べて、日本の親の金銭的負担は異常に重い。
本当にそうまでして大学に行く価値はあるのだろうか。あるいは本人に大学で「本当に学ぶ意欲」はあるのだろうか。
今や2人に1人が大学に行く時代。大学出が輝かしいエリートだったのは、はるか遠い過去の物語になった。それでも多くの若者が大学進学を目指すのは「皆が行くのに自分だけ行かないわけには…」という脱落の恐怖が大きいのかも知れない。親も「今どき大学くらいは出てないと」と親心で後押しするのだろう。
かくして親のスネはますます細くなるわけだが、大学側も少子化の打撃を少しでもかわそうとあの手この手の戦略を立てている。
特に私大では生き残りを賭けた「受験生獲得作戦」を展開している。高校生対象のオープンキャンパス(要するに大学の宣伝活動としての公開授業や説明会)は今や一般的で、他にも案内パンフにキャラクターを使ったり、学食の美味しさを訴えたり、校舎(設備)の豪華さや立地の良さ、さらには就活支援のきめ細かさに至るまでアピールに余念がない。
実際このような、人目に訴えるサービスを巧みに広報宣伝に取り入れる大学が志願者数を伸ばしている。
案内パンフに可愛いキャラクターをあしらった大学に殺到する学生も学生だが、最近の大学はそれほどナリフリ構わぬ学生獲得を目指しているということだ。
その最たる例は新設の学部(学科)の増設である。こちらはキャラクターと違ってあまり笑えない。
学部新設は大学の商品開発
20年ほど前から私大の学部は新設ラッシュといってよい有り様だ。国際何とか学部とやたら「国際」をつけるのはもう古いパターンで、最近は総合ナントカ、現代社会ナントカともっともらしい名称が流行しているが中にはライフ○○学部、グローバル○○学部、○○コミュニケーション学部、○○デザイン学部などカタカナも増えている。
「一体そんな学問あったっけ⁉」という感じだ。増設ラッシュは不人気校や無名校の「人集め戦略」だと思うかも知れないが、いわゆる伝統ある有名大学も負けずに競って増やしている。
かつて―私が学生だった頃―は私大の文系といえば、文学部、法(経済)学部に経営学部や社会学部、教育学部といったところが定番で5~6学部だったが今や10以上に倍増しているところが珍しくない。
先の名称から分かるように、学部新設ラッシュは明らかに学生確保のための「商品開発」である。そもそも大学にとって学部の新設は本来もっとも重大かつ慎重を要する案件なはずだ。学問追究の場としての大学にとってどういう学部を有するかは、大学の教育理念と人間育成の特色を世間に示すメルクマーク(指標)ではないか。
しかも先の学部のように「一体何をやるのか」見ただけでは明確でなく、教授などの教育スタッフの専門性にもクエスチョンがつく。
学科ならまだしも学部新設にはお金(予算)もかかるし、認可も必要。教育スタッフの確保やら研究教育内容の充実にも時間がかかる。何よりそこで学生は何を学びどう社会的キャリアに生かすのか。非常に心もとない。
事実数年前、ある有名大学で「勝手に学部を新設し、教員を色々な学部から引き抜いて寄せ集めた」として一部の教授が大学経営陣を訴えたことがあったが、まさに「むべなるかな」という思いがした。
受験は今や市場原理の支配下にある
このように今の大学は、私大を中心に完全に市場原理の影響下にさらされている。もちろん、その背景には「少子化」という若者の人口減がある。いくら大学進学率が上昇しているといっても、70年代から増え続けた大学にとって学生確保は今後死活問題だからだ。近い将来大学の数は半減するという予測さえある。
「人気校や難関校なら安泰ではないか」と思う向きもあるが、それらの大学もこれまで通りの学生の質を維持しようとするなら相当厳しい競争を勝ち抜かなければならない。
まさに小さなパイを巡る争いは激化しているのだ。
今の入試システムを良く知らない人のために言うと、大学入試は国公立大も私大も参加できるセンター試験があり、その後大学ごと学部ごとの入試が続くが中には「全学部入試」など一日のうちにその大学の学部を複数受けられるシステムもある。つまり一つの大学の学部をセンターも含めると3回以上受験できるわけだ。ほかの学部も同じシステムだから、1校につき最大10以上の学部を受けることも可能となる。つまり受験生を他大に取られないよう複数受験の機会をドンドン増やしているわけで、受験生からすると一見チャンスが増えるようだが、やはり難関校はそう簡単に合格できないから、徒らに受験回数ばかり増え疲労も増すし、もちろん出費も莫大になる。
これは大学だけでなく私立中高入試にも及んでいて、最近学校は受験機会を増やすことで入学者確保に努めている。「受験生のため」という大義名分を掲げているが、これはれっきとした学校の「商品開発」だ。
ここに予備校や塾の戦略もからんで巨大なマーケット(市場)が存在する。何しろこれだけ入試システムが複雑化する(2020年からはさらに大幅な大学入試改革が始まる)と、受験生や親そして高校も「正しい受験情報」を求めて右往左往せざるを得ず、そうなると膨大なデータを持つ予備校に頼るしかない。予備校や塾はさらに翌年以降のデータ蓄積のために受験生に数多くの学校を受けるよう勧め、不安に駆られる受験生は従うしかない。
こうして受験生と親は多大な出費を強いられることになるが、これはまさに資本主義の構造そのものである。企業(学校)が魅力的な商品を次々とイメージ(広報や学部設置)させ購買意欲(受験)をあおり、営業マン(予備校、塾)が商品の詳細な説明(データやランキング)をして顧客を消費行動に導く。
日頃は商品購入に慎重な人々も、つまりモノを買う際にはダマされないよう吟味したりケチったりする人々も、こと教育となると途端に財布のヒモが緩むのが日本の親たちの特徴だ。
今こそ大学へ行くことの意義を考えよ
私はいつも歯がゆく思うのだが、親たちはもっと学校というものに対して厳しい目を向けるべきだ。学校の教育内容、理念、教員たちの熱意そういった内実にもっと関心をもち、我が子の特性にマッチした学校を明確に選択する基準をもつべきだ。偏差値だとか、説明会での一方的な美辞麗句にダマされてはいけない。今は有名大学を出たからといって将来の保証など何ひとつない時代なのだ。
普段は10円でも安い食材を探してスーパーを渡り歩き、少しでも「お得」な情報収集に余念のない主婦がどうして学校とか教育になると、いとも簡単に上っ面の評判や表面的な情報に踊らされるのか。
「教育は将来への投資」と考え、大学さえ出れば子どもの先ゆきは安泰としているならこの「投資」は無駄になる可能性も高いということを分かって欲しい。
なぜなら何度も言うが、今は同世代の2人に1人が大学生になる時代だ。単純に考えても、たとえ大卒であっても20~30年前ならその多くが専門学校卒と同程度の評価でしかない。つまりこういうことだ。昔なら大学を出ると半数近くが大企業もしくはそれに準じる安定した企業(公務員も含む)に就職できたが、今やそのような職に就ける者は1割程度に過ぎず大半はかつての高卒や専門学校卒と同じ職種にしか就けない。要するに「大学出」というアドバンテージは何も得られないのが実態なのだ。
それどころか下手に大学に行ったはよいが、きちんとした実力をつけていない者は、専門学校などでしっかり技能を習得した者より安定的な生活を送る可能性は低いということだ。なまじ大学へ行ったばかりに―しかも意味不明な学部で何の専門性もないから―かえって就職にも不利だということになる。大学受験や4年間の学費(高校までの予備校、塾の学費を含め)と生涯賃金を比較した場合これは割に合わない投資ではないか。
だから親は冷静に考えて欲しい。本当に我が子は大学へ行くべきなのか。大学で一体どんな知識を身につけどんな道を進もうとしているのか。我が子の特性や子ども自身との会話を通して大学進学が適正な選択であるのかどうか今いちどゼロベースで考えて欲しい。
私自身は大学での4年間は貴重な学びの時間だと思っている。大学生活のおかげで余りある恩恵を被ったとも思っている。だから多くの若者が大学で自由に自らの好きな分野を追究して欲しいと心から願っている。しかしそれは自らのテーマを見つけ主体的に学んだからだ。当たり前だが、ただ大学に通っただけでは何も身につかない。
まして親が世間体や見栄で我が子を大学に通わせたい、あるいは将来のリターン(投資)を求めて大学卒の肩書きを求めるなら、相当時代錯誤の発想であり愚かな選択と言うしかない。
少々辛口の記事になってしまったが、大学自身が少子化対策にやっきとなり迷走しているかに見える今、そして2020年以降「真に考える人間」を育てようと国を挙げての大改革が始まろうとしている今だからこそ、私たち子をもつ親もまた我が子を大学へ行かせることの価値を改めて問い直す時期に来ているのではないか。
息子の大学受験を機にひとりの親としてそんなことを考えてみた次第。
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