前回の記事で「子どもをどうにかしよう」としてはいけない。親は何もするなということを書きました。
これについては親の方から次のような反論というか疑問の声があるようです。
「子どもにあまりうるさく言ってはいけないのは分かるが、しかし何も言わないとますます悪化するだけではないか!?」
この疑問というか不安はよく分かります。
セミナーや講演、保護者会などでも必ず出る言葉だからです。
たとえばこんなふうです。
「先生のお話を伺って私も子どもになるべく言わないようにガマンしているのです。でもそうしたらますますヤラなくなってしまって・・・」
これらの疑問に対する私の答えはこうなります。
もっと子どもを信用すること!
その上で親のほうにも覚悟というか一定の勇気が必要です。
「何も言わなければますます子どもは悪くなるのではないか」と言うなら、それは子どもの自由意志を認めていない。子どもの復元力を信じていないということです。
それまで散々うるさく言ってきたのに、急にその小言を止めたら子どもはコレ幸いとサボりに拍車がかかるのは当然です。
だから覚悟が必要なのです。親も腹をくくらなければいけないということです。
キツい言い方ですが、ほとんどの親御さんはこのことが分かっていない。私の言う「何もするな」は子どもを自分の思うような方向へ誘導しようとする意図に基づく言動を一切するなという意味です。要するに「コントロールをやめろ」と言ってるのです。
「うるさく言わないように」すれば「子どもは良い方向へ行くだろう」は立派なコントロールです。だから子どもにうるさく言うとか言わないとか、注意するとかしないとかはどうでもよいのです。表面的な些事に過ぎない。
「うるさく言わないよう我慢している」に至っては全く話の要点を外しています。的外れです。これだと「うるさく言うのは良くないらしいから黙っていよう」と表面は装いながら、それでも思い通りに行動しない我が子に焦りとイラだちを募らせているわけで、心の中では思い切り「うるさく言っている」ことになります。
「こっちもガマンしているんだ。さっさとやりなさい!!」
というオーラ全開で子どもを見張っている。当然子どもに伝わっています。
コントロール欲求を手放そう
このように多くの親は「うるさく言わないようにすればいいのだろ」と受け取り、「言わないようにガマンしているが一向にやらないのはどうしてだ?」と訴えているわけです。
うるさく言わなければ子どもが自動的にガンバり出すとでも思っているのでしょうか。
「うるさく言わない」はメソッドでもなければ魔法の言葉でもありません。
子どもを思い通りにしよう、思い通りにしたいというコントロール欲求そのものを消去しない限り、うるさく言おうが言うまいが子どもの態度に変化は見られないでしょう。
ところがたいていの親は子どもをコントロールしようなどとは思っていないのでしょう。「私はただ子どもが心配なだけだ」と言うのでしょう。
しかし、子どもに対する心配や不安は確実に「お前のことは信用できない」というメッセージを子どもに伝えることになります。
それはまた「お前には自力でやる力がないのだ」という無力感を与えてしまうことにもなりかねません。
結局心配でさえも「お前には力がないから親の言う通りにせよ」という形を変えたコントロールでしかないということです。
だから前回も親はまず自分のコントロール欲求に気づくことを第1にあげたのです。気づけばコントロールのワナから脱することが可能だからです。「こんなことでいいのか」という心配も不安も怖れも、親としての義務感もすべて形を変えたコントロール欲求と割り切り、子どもを1個の大人として信用しましょう。
思春期になれば我が子といえど大人として扱わなくてはなりません。
こうして親が子どもを大人として「正当に」扱えば、つまり対等の人間同士として接するようになれば、さらに子ども扱いを「何もしな」ければどうなるでしょうか。
子どものプライドは満たされ自尊感情がわき起こるでしょう。うるさく言われないと動かなかった人間から自覚的に考え行動する人間への変化です。「うるさい親をどうやり過ごすか」に使っていたエネルギーを純粋に自分のことに使えるようになるからです。
その変容はいつ起こるか、人によってマチマチですが必ず起こります。しかし、保証はできません。だから親は覚悟が必要なのです。勇気も必要です。「成績が上がらなくてもいい」「だらしないままでもいい」「部屋が汚いままでもいい」「毎朝遅刻してもいい」それくらいの覚悟です。
「そんな覚悟はムリ!!」という親の方には1つだけ提案があります。
それは「どうか今まで通り子どもにアレコレ言い続けて下さい」ということ。
あまりうるさく言うのも・・・などと変にブレーキをかけたり後で反省したりしないで下さい。言わずにいられないという親の気持ちも分かります。どうかご自分の気持ちに正直になって下さい。
但し、それはあくまで「言わずにいられないから言うのだ」ということ。つまり自分のために言ってるのだと自覚して下さい。自分のフラストレーションを発散してるのであっていちいち「子どもの将来のため」というお題目は唱えないことです。
そうすれば子どもはコントロールの被害から免れるでしょう。
最後に
子どもに「何もしない」とは、子どもを冷たく突き放すことでも親の義務を放棄することでもありません。
もっとも深い意味で子どもを信じる行為です。
もしコントロール欲求を完全に手放し、子どもを心から信用することができたら親子関係そのものに変容をもたらすでしょう。
その形は家庭により様々でしょうが、親子が自然に楽しく会話しているかも知れません。親が人生の先輩として子にアドバイスしたり自分の考えを話すかも知れません。時には苦言を呈するとしてもそれは対等な関係であるが故に、子も抵抗なく聞き入れ自分の考えも堂々と伝えているかもしれません。
コントロールを何もしないことによって、かえって適切なタイミングで適切な言葉が生まれ豊かなコミュニケーションがあふれることに気づくでしょう。
それは気づいてみればそうなっていたという光景に違いありません。
どうかお子さまを信じてみて下さい。少しばかりの覚悟と勇気があればその見返りは大きいと感じます。
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