教育研究所ARCS

子どもに伝えたいメッセージ~「人に迷惑をかけるな」は正しいのか ~

教育・子育て

子どもに伝えたいメッセージ

「他人に迷惑をかけない人になって欲しい」

子どもにどんな人になって欲しいかと尋ねると、上のような言葉を言う親が最近多い気がします。
私の経営していた塾でも「ご家庭の教育方針」を入塾時の願書に書いてもらっていますが、たいていこの言葉が書かれていた記憶があります。

ということは多くの親は、我が子に他人に迷惑をかける子になって欲しくないと思っている。人さまに迷惑をかけるような子にだけはなって欲しくないと思っているということになります。

「そりゃそうでしょう。誰だって自分の子が人に迷惑をかけて平気でいられるわけないのだから」

ハイ、確かにそれも分からなくはありません。私だって人の親ですから我が子が他人に迷惑をかけたり、困らせるような人間になって欲しくないと思っています。

ただ、私は多くの親が「他に迷惑をかけないように…」と思うこと。しかもそれが教育方針の第1にくることに少し違和感というか、素直に受け入れられない抵抗のようなものを感じてしまうのです。

なぜなら、そもそも人間は「他者に迷惑をかけずに生きることなどできるのだろうか」という大きな疑問があるからです。
そしてその疑問への回答は「迷惑をかけずに生きることなど決してできない」
というのが私の考えだからです。

私たちは誰でも迷惑をかけて生きている

一つマジメにお聞きしますが、皆さんは今までの人生で1度でも他人に迷惑をかけずに生きてきたのでしょうか。
私は告白しますが人さまに多大な面倒、迷惑をかけてきました。

仕事上のミスでお客さまや上司、同僚や後輩に迷惑をかけた。運転中に他の車に追突した。店から出ようとドアを開けたら入ってくるお婆さんに当たりケガをさせた。小学生のとき隣の女の子の筆箱を隠して泣かせた。そこにいない人の悪口をつい言ってしまい、それが本人に伝わりトラブルになった。そのトラブルを先輩に尻ぬぐいしてもらった。満員電車で人の足を踏んだ。心配して色々アドバイスしてくれた伯父に暴言を吐いた。イライラして家族に八つ当たりした。ささいなことで部下を叱り辞められて他のスタッフを混乱させた…。等々

自分の若い頃をふり返ってざっと思いつく限りでもこんなにありますが、迷惑をかけたリストを作れば恐らく数百にはのぼるでしょう。自覚していない「迷惑」を含めればその数倍はあるのではないかと思います。

迷惑の定義にもよるかも知れませんが、私個人としては上のように多くの人に迷惑をかけて生きてきたという自覚があります。
子どもから学生時代そして社会人にかけて一体どれくらい周囲の人たち―先生や親、友人や知人―を心配させ、迷惑をかけ心を痛ませ、世話になってきたか。それは数え切れないほどでまさに穴があったら入りたいくらい恥ずかしい思いを抱えています。

私ほどではないにしても、大なり小なり人は他者に「迷惑」をかけて生きている。

それは避けられないのではないでしょうか。

もしそうであるなら子どもに「他人に迷惑をかけてはいけない」と教えることは、いたずらに子どもに罪悪感を植えつけることになりはしないかというのが私の考えです。
他人の目ばかり気にして「自分」をもてず、他者から少し注意されただけで激しく落ち込む。
そういう人が増えている気がします。

もちろん私は「自己中心的にふるまえ」とか他人の迷惑を省みず好き勝手をして良いと言っているのではありません。傍若無人を勧めているわけではありません。
意図的な悪意―他人を傷つけたり、己の欲望のために他者を犠牲にする行為―でない限り人生の様々な局面において、つい他者に迷惑をかけてしまうことは仕方がない。お互いさまではないかと思うのです。

「迷惑」を「恩恵」に変えていく

「迷惑をかけ合うのはお互いさま」

こう言うと「開き直ったのか」「厚顔無恥で生きろというのか」と思われそうですがそうではなく、逆でむしろ謙虚になれということです。

私たちは生きている限り他者に一定の迷惑をかける存在であることを忘れがちです。
他者というのは人間とは限りません。自然や環境、動植物も含みます。

恋人たちが楽しく草原で踊るとき踏みつぶす虫のことを考えません。
レストランで家族が美味しいステーキに舌鼓を打つとき、殺された牛に思いを馳せることはないでしょう。
快適なドライブのとき、排出するガスで苦しむ木々や草花の存在は眼に入りません。
自分が犯した小さなミスを、陰で秘かにフォローしてくれる人がいることにも私たちはなかなか気づきません。
仕事や人間関係で悩んでいるとき、心を痛めながらもそっと見守ってくれている家族の思いやりを忘れがちではないでしょうか。

こうして振り返ってみれば分かります。
私たちは生きているだけで人間を始め、自然環境や様々な生命に対して迷惑をかけているということ。迷惑というと言葉が引っかかるなら「お世話」になっているということを。

そして迷惑をかけ合うことがお互いさまなら、私たちは知らず知らずのうちに他者に迷惑をかけていることを謙虚な気持ちで自覚して生きるしかない。生きることは必ず何らかの迷惑を周囲に与えてしまうことを自覚する。それがいわゆる「感謝の気持ちをもって生きる」ということではないでしょうか。

ですから私はあえて次のように言いたいと思います。

私たちは他者に迷惑をかけること。人さまのお世話になることを恐れる必要はない。
ただし、(迷惑をかけた)他者に感謝し今度は自分が他者の「迷惑」を寛大に受け止め許していく。

それが迷惑という形で「お世話になった」他者への恩返しだと思うからです。

そうして世代を超えて「迷惑」は「恩恵」に形を変えて受け継がれていくのです。

若いときに他者に迷惑をかけたという記憶は、自分より若い世代への許しと寛容に姿を変えるものだからです。
少なくとも私は、かつて多くの人から受けた許しと寛容への恩返しを若者を育てることで果たそうと思っています。

・・・とさも立派そうなことを言っていますが、私が人にかけた迷惑は少々の恩返しでは埋め合わせできそうもないことを申し添えておきます。

こんな私が言うのも何ですが、私が我が子にメッセージを送るとしたら次のように言うでしょう。
「生きる上でたくさんの人や、生命にお世話になっていることを忘れてはいけない」
そして
「その恩を自分より未熟な者、弱い者を助けることで返していきなさい」と。

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