これまで願望を実現するあり方についていくつか述べてきた。そこで今回はズバリその方法について書いてみたい。
願望を実現する上でもっと大切なポイントを私なりに言うなら、願望を明確にしたら忘れること。これに尽きると思う。
忘れることが必要というのは奇異に聞こえるかも知れないが、特定の願望をあまりに強く意識しすぎることはかえって実現を妨げることになり、一度願望を明確にしたら潜在意識に引き渡すほうが実現の可能性が高まるからだ。
なぜ意識しすぎると良くないのか。いくつかの理由があるので述べてみたい。
まず1つめは、強すぎる願望は「いまは叶っていない」という不足感を強烈に強めてしまうということ。たとえば「裕福になりたい」と強く願うことは「いま困窮している」と宣言することになり、自分は本当は貧しいのだと潜在意識に刻みつけることになる。当然ながら困窮状態が続くだろう。
よく重要な場面で「自信を持て」などと呼びかけるが、自信を持とうとするほど意識しすぎて失敗するのに似ている。自信を持たなくてはと思うことは、失敗するかもしれないという不安を強めるからだ。
本当に自信がある人は「うまく行って当たり前」という状態にある。
同じように特定の願望をあまりに強く握り締めることは、むしろそれが叶わないことを願っているといっても過言ではない。叶って当たり前といえるほどに潜在意識に刻印することが大切なのだ。これについては後で述べる。
願望を強く意識しすぎると良くない2つめの理由は、その願望に執着しすぎるためにもっと自分にふさわしい「良いこと」を見逃してしまうことにある。たとえば特定の異性に執着するあまり、もっと自分にふさわしい別の異性との出会いを見過ごすようなものだ。
他にもあるが今はこの2つの理由にとどめたい。
とにかく願望はいったん明確にしたら執着せずに意識から追い出すこと。手放して後は潜在意識が勝手に叶えるのに任せるほうが良い。私たちは何か得たいものや目的があるとき、つまり願望があるとき「どうやって手に入れようか」と手段、方法にばかり走りがちだ。
しかしそれは自らに制限を課す行為なのだ。
見かけの願望と本当の願望
では、願望を明確にして潜在意識に引き渡すためにはどうすれば良いのか。自分の体験を踏まえて書いてみる。
まず、誤解を避けるために「明確な願望」とは何か正確に定義したい。私の言う「願望を明確にする」はその願望を達成することで何を得たいのかを明確にすること。つまり、見かけ上の願望の背後にある自分の本当の望みを知ることにある。
たとえば人は「金持ちになりたい」などと漠然と言うが、金持ちになることで本当は何を得たいのかを明確にする必要がある。というのは「金持ち」というのも何かの手段に過ぎないからだ。多くの人は手段と最終目標を取り違え結果としてさらなる渇望の虜になっている。
こうなるのも己の真の望みを知らないからだ。
それを知るためには、漠然と浮かぶ願望に「なぜ?」と問い続けることだ。
金持ちになりたい→ナゼ?→何でも買えるし支払いも困らないから→ナゼ?→そんな生活だと快適で安心だから。
この場合、本当に手に入れたいもの真の望みは快適、安心ということになる。「お金持ち」はその手段だったと分かる。
また、たとえばあなたの望みが会社での昇進だったとする。その場合も「なぜ」と問うことで真の欲求、本当の願望が明確になる。もしかするとそれは自分や家族の幸せかも知れない。プライドの満足かも知れない。
いずれにせよ、自分の真の欲求に気づくことで必ずしも「お金」や「昇進」が絶対的に必要なものではないことが分かるだろう。
「じゃ、貧乏のままガマンしろと言うのか」
「昇進をあきらめろということ?」
と言うなら違う。私はそんなことが言いたいのではない。
自分の本当の望みは何かに気づかずに、ただ「お金が欲しい」「何とか昇進したい」と執着するだけでは、先にも言ったようにその反対の状態を固定化してしまいがちだが、本当の望みに気づけば「お金」「昇進」にこだわらず選択肢は無数にあることが分かる。すると心に余裕ができる。
まさに特定の願望に執着して他の可能性をつぶす愚を犯すのを避けることができ、次に述べるような現状の不足感からも脱出することができる。
達成のフィーリングを感じてイメージする
さて、このように理解した上でどのように過ごせばよいか話してみたい。
「お金持ちになる」が見かけ上の願望で、本当の自分の望みが快適で安心な生活であると気づいたら、できる限り自分の「いまの状況」を快適で安心なものにするよう努めればよい。それが前回話した「叶っている状態をいま体験する」こと、すなわち望みの状態に直結ということになる。
そのためには身の回りに自分好みのモノを並べるのも良し。好きな音楽や芸術に触れたり、心躍らせる書物を読むのも良し。また不快や心を曇らせるような人物や物事からは遠ざかり、極力安心できる交遊関係を結ぶことも重要。
さらにこのように外的な環境にとどまらず自分の内面―心の状態―を整えることも必要となる。私の場合は瞑想したり過去の楽しい記憶を思い出すことで、心を快に保つことを心がけている。
大事なことは「いまこの瞬間が常に満たされている」状態にあることだ。たとえ外側で何が起ころうと「不足」に焦点を合わせるのでなく、いま満たされている(充足している)部分を常に感じていること。
その充足感を潜在意識に染みこませるまでドップリ浸かることが必要だ。ここだけは努力が要るところかも知れない。
次に、実際に自分の願望が叶っている状況を具体的にイメージしたり文章化する。もちろんそのとき自分が感じるであろう喜びや快適などのフィーリングをありありと感じるようにする。
そしてその「願望」自体を手放しできれば忘れてしまう。それでも充足状態は常に感じながら目の前のやるべきことに集中する。やがて思った通りであれ、思いがけない形であれ「いつの間にか叶っている」ことに気づくだろう。
私はかつて、郊外の小さな教室から塾を始めたが当時の私はいつかは都市部に大きな教室を建てたいという願望を抱いていた。
田舎の片すみのひっそりとした小さな塾長で終わるのではなく、都会で堂々と勝負したい。誰にも負けない教育内容で人々の信頼を得たいという願望というか目標あるいは野心があった。それが達成された場面を白日夢のようにありありと感じ、そのフィーリングに満たされていた。
ある時、私はそのイメージを1枚の絵に描いた。それは大きな道路沿いにそびえ立つビルの絵で、看板には私の塾名が大きく印されていた。
そこには大勢の生徒たちが行き来し、先生たちは楽しそうに授業をやっているそんなイメージだった。
その後私は何とか都市部に教室を出すことができた。最初の数年はビルの一室を借りていたが、生徒が増えたため新たな物件を探し始めた。とはいえ資金などの問題もありやはり賃貸での運営を考えていた。
だが、協力者が現れたり銀行も喜んで融資するなど様々な偶然が重なり、思いがけない有利な条件でビル1棟を買い取ることができたのである。
教室として完成したビルの外観を見て私は驚いた。それは私がかつて絵に描いたそのままの姿だったからだ。看板の位置、デザインも同じ。ビルの前に大きな道路(幹線道路)があるのも同じ。
くり返すが私はそのときまで絵のことは完全に忘れていたのである。
思い返せば絵を描いて10年目の冬だった。
これは私にとって衝撃的な体験だった。同時に潜在意識というものの持つ力の偉大さを思い知る瞬間でもあった。意識上で忘れていても、いったん潜在意識のナビゲーションに行き先を入力すれば、偶然と思えるようなプロセスを次々と起こしながら目的地へ邁進していく。
もし私が最初から意識的に「ビルを買おう」などアレコレ手段方法を考えていたら、とてつもなく困難な作業になっていただろう。恐らく途中で断念したのではないか。
意識上で忘れて潜在意識の自動操縦(オートパイロット)に任せることの重要性を私はこのとき知ったのである。
だが同じようなやり方でもうまく行く場合とそうでない場合もある。
次回はこの辺の事情について話したいと思う。
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