感想文について思ふ
直近の庄本氏のブログ(読書感想文はいやなもの?)で読書感想文のことに触れていましたが、まさに同意でした。
そもそも読んだ本の‘感想’を‘自由に’かつ‘魅力的に’書くということが、小中学生ぐらいの年齢の人に要求するのは厳しいでしょう。
よっぽど読んだ人の琴線に触れるような内容でない限り書けませんよね。
そして、そのようなことはいくらかの人生経験が必要なはずです。
よく本のレビューなどを書いている人がいますが、あれは強いられて書いているのではく、何かしら強く感じたり思うところがあって自発的に書いているはずです。
インターネットがこれだけ浸透している現代社会でも、そのように読書レビューを書く人の大半が高校生から社会人(おそらくですが)であること踏まえると、やはり自発的に感想を書こうという人の多くは、精神的に大人だと言って差し支えないでしょう。
だから、小中学生の読書感想文というものは、あくまで「それを通して作文の構成を学ぶ練習の場」「読書の機会とする場」として明確に位置付ければよいのではないでしょうか。
とはいえ、実際には学校現場からは「感想文を書いて提出する意義」についてのアナウンスは特にないわけでして、言わば伝統的にそういうものがあるから惰性でやらせているとうのが実情です。
書く方も書く方で、「提出しなければならない」という義務感のみに追われている人が多いわけで、特に文章力を上達させようという意識はありません。
どうりで金で宿題を請け負う業者が流行るわけです。
夏休みの宿題にどう取り組む?
提出するという体裁だけを目的にするなら、時間の無駄ですからやらないという選択もアリです。
「でも内申点が悪くなるでしょ…」と思っている人、ほぼ関係ないですよ。
感想文や自由研究が入選した場合に一応記載されるぐらいです。
要するに、やるなら目的や意義に納得してやることが重要なではないでしょうか。
少し前のブログ(2015年6月24日「質問にお答えします~夏休みの自由研究、今年のネタはどうしましょ!?~」)でも書きましたが、夏の勉強が‘自分にとって糧になったり、新たな興味をもたらすもの’になっていなければ、そもそもどんな宿題もやる意味なんてありません。
逆に言えば、自分にとっての血肉になるのであれば、どんなやり方もOKなんです。
例えば特殊な宿題(感想文・自由研究・ポスター・書初めなど)以外の算数や国語の宿題は、夏休みの直前に計画表を書かされて、毎日少しずつやりましょうなんて指導されますよね。
でも、一気に前半の一週間ぐらいにかためてしまって、あとは思いっきり遊ぶなんていうやり方も悪くはないと思うんです。
一気にたたみかけるやり方も、それはそれで効果があります。
計算や基礎的な問題を数多くやるような場合は、変に小分けにするより力が定着しやすいと思います。
逆に大きなテーマや難しい一問などを、時間制限なしで数時間おき数日おきに継続的にじっくり考えていくのが深い思考力を養成するのに適しています。
いずれにしろ、与えられた宿題に対して、‘提出するため’ではなく‘自分なりに力をつけるため’という意識で取り組めれば自然と自分に合ったやり方になっていくはず。
その意識になってきたときには、読書感想文や自由研究なども、せっかくやるからには何か自分の興味を深めてみようとか、面白いことをやってみたいという、内なる創作意欲や独自性というものが涵養されていくのではないでしょうか。
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