もうすぐ大学入試が変わる
毎日新聞で、「大学入試の新システムを、2021年春からの受験生を対象に導入を目指す」という記事を目にしました。
基本路線としては、現在のような知識偏重の入試問題をやめ、思考力や論述力を重視したものにしていくとのこと。
ん~、ウチの所長が30年前からずっと言ってきたことじゃないか(笑)。
高度成長期のように「規格大量生産」「言われたことを忠実にこなす」ということが国の発展につながる時代はとっくに終わりました。
なのに、公教育を始めとする多くの教育機関は相変わらずその時代のやり方…。つまり‘解法の暗記’‘パターンの反復’という点数をとるための勉強です。
今ようやく、「学校秀才」や「指示待ち人間」は仕事で使えないという、社会では当たり前のことが一般にも少しずつ浸透してきましたので、教育の問題点にも光が当たるようになってきました。
しかしなかなか教育の現場は変わりません。
まあ、これまでも幾度か大学入試の議論はされてきたようですが、
大学「君たち高校側が詰め込み教育するから学力低下が起こるんだ」
高校「アンタたち大学側が知識偏重の問題ばかり出すから仕方ないじゃないか」
のような責任転嫁の中、なかなか話が進みませんでした。
それでも文科省がようやく動き出したのは明るいニュースだとは思います。
思考力・主体性・協調性などを総合的に評価するとのこと。
あくまで今はイメージの段階らしいので、細かい部分については何とも言えませんが、難関大学になるほど思考力を試す学力試験や記述力・表現力が重要視されるものが課せられるのは歓迎すべきことです。
入試問題はメッセージ
そもそも入試問題というのは、「その学校がどんな人材に入学してほしいと考えているのか」というこを雄弁に物語るメッセージです。
例えば社会の試験で、ひたすら年号や事件の名称ばかりを問うものが出たとしたら、「記憶力が良い人」にて来てほしいということになるでしょう。一方、その事件が起こった原因を記述させる問題が出たとしたら、「物事の因果関係を理解し説明できる人」「暗記主義でない価値観を持っている人」に来てほしいという無言のメッセージになるわけです。
ですから、『入試問題は口ほどにモノを言う』ということになります。
しかし、実際に問題を作成する側の労力を考えると、真の学力を試す問題を作成し採点することは、非常に大変なことです。
作成者側が表面的でない深い理解を伴った知識を持っていなければならないし、その上で真の思考力を試す問いを作り出すセンスが不可欠です。
加えて、記述式の解答を添削する時間的な手間…。
それらを面倒がらずに、ひたすら熱い教育魂のもとに実行していく信念も問われます。
かつて話題になりましたが、京都大学の理系の入試問題では、採点者が答案用紙を光にかざして消しゴムで消した跡までを追い、学生の考えたことを知ろうとしたといいます。
言うは易しで、なかなかやれないものだと思います。
だから、練りに練った問題を出してくる学校は、少なくとも悪い学校ではない、というのが私の考えです。
大学がそういう手間をかけた入試を実施してくれるようになれば、そこから高校入試や中学入試の問題も良くなっていくのではないでしょうか。
というより、良くなってもらわねば。
私立高校なんて受験料だけであんなに儲かってるんだから…ブツブツ(笑)。
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