前回に引き続き、まだまだ私の「インプット」の波は続いています。
今週も何冊か本を読みましたが、お仕事柄教育に関するものが多くなっていますね。その中でも面白かったものを、今回も一冊取りあげてみましょう。
『「文系学科廃止」の衝撃』 吉見俊哉 集英社新書
一時期話題になった「国立大学における文系学科縮小、廃止」論の概説書かと思いきや、実際に読んでみると、システムについてというよりはむしろ、文系学問そのものの意義を考えるかなり面白い本でした。
確かに近年、「文系」のイメージはあまりよくありません。私が実際に教えている高校生たちも、多くの生徒が理系を志望します。中には「数学は大の苦手。物理化学なんて見たくもない。でも理系に進みたい」と、ちょっと不思議なことを言う生徒もちらほらいます。理系教科が嫌いなのに理系を志望する理由を聞いてみると、これもまた判で押したように「将来就職がよいから」と…。理系は就職に有利。文系は不利。実際の社会を知らない高校生だからでしょうが、この考えが当たり前になっている様子。さらに、直接明言するわけではないのですが、「理系に行けない“できないヤツ”が文系に行く」という学力の格差に関わる暗黙の了解もありそうです。
実際のところ、大学入試に限って言えば理系学部の方が勉強に負荷がかかる可能性が増えます。それこそ星の数ほど私立の学部学科がある文系と比べて理系の専門大学はほとんどありません。自然と理系志望者は国立を目指しますが、国立の場合には私立よりも多くの教科を勉強しなければならず、私立文系のような「英・国・社」の三教科(最近は二教科、一教科でよいところも)ではすみません。また、教科に目を向けてみても、文系で絶対に高得点を取らなければならない重要教科は英語一教科で済む一方、理系では英語・数学の二教科必要となります。
そんなわけで、間近に受験を控える高校生の間で「文低理高」傾向があるのは仕方ないのかもしれません。しかし、受験から離れ、視野を大きく広げたときには、状況は大きく異なります。
先ほど紹介した本にも書いてありましたが、文系の学問は理系よりも「学問が成立しているフィールド」そのものに疑問を呈することが多いのです。たとえば科学哲学という分野では、科学という学問の内容の正しさではなく、科学という学問それ自体の正しさを問います。人々が“当たり前”のこととして深く考えずに済ませてしまっているものごとの前提を疑い、そこから新たな思想の地平を切り開くダイナミズムはまさに文系の学問ならではの醍醐味でしょう。たとえて言うならば「ちゃぶ台返し」。このダイナミズムは「快感」です。
文系の学問ってどうも曖昧でよく分からない。どんな価値があるのか分からない。そう感じる文系志望の高校生に是非読んでほしい本です。
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