教育研究所ARCS

子どもはこうして伸ばせ! 適切な問いかけが考える力を育てる

教育・子育て

160520

前回(=ココ)の続きになります。 

21世紀学力とは何かを考えた場合、大切なことは「答えのある問題」を解くことより「答えに至るプロセス」を試行錯誤しながらどれだけ深く考えることができるかにかかっていえると言えます。

正解があらかじめ決まっている問いを、これまたあらかじめ決まっている解き方で解いていく方法は、完全に消滅するとまでは言えないにしても、徐々に廃れていくでしょう。 

正解があり、解き方も決まっているなら後はどれだけ解法のパターンを記憶しているか、その記憶能力によって学力の優劣はつくことになります。同じく、覚えているかどうか単純な知識の有無を問う問題も記憶力しか求めていない理由で減っていくことになります。

どんなに記憶力に自信のある人でもコンピューターには敵いません。知らない知識もネットに検索すればだれでも膨大な「知識の宝庫」にたやすくアクセスできます。 

昔は「知識」を頭の中に「貯蔵」していることが、他者と差をつける上でもっとも重要な条件でした。多くの人は身の回りに必要なせまい範囲の知識しか持ち合わせていず、それ以上の高度な知識や教養は一部の人にしかなかったからです。

長い間、知識は「勉強する余裕のある」一部の人たちに独占されてきたわけで、そういう時代は知識はまさに武器であったといえます。

しかし、スーパーコンピューターやインターネット、電子辞書など様々な機器により膨大な知識を人間が頭の中に保存し持ち運ぶ必要はなくなりました。 

記憶力も確かに人間の能力の1つです。でもそれは多くの能力の1つに過ぎません。知識も仕事や専門分野においては深めることは重要です。けれども使えなければ何にもなりません。

表面的で使えない知識を量的に多く持っているだけでは意味がないのです。 

それなら今まで覚えていることに費してきたエネルギーを新しいものを創造したり、問題を発見し解決していく力に変えていくほうが合理的です。

あと30年もすれば、いま行っている人間の労働の半分はロボットが肩代りすると言われています。

ですからこれからは、人間は人間にしかできない能力を発揮していくことが大切でありそれは予定調和的に正解のある問題に答えることではなく、正解に至るプロセスを試行錯誤する中で新しいものを創造していく能力であると言えます。 

子どもに説明させることの大切さ

さてそれなら我が子をそのような「創造的な人間」に育てるために親はどうすればよいのか。21世紀学力を身につける上で親は子どもにどう接すればよいのか。

いくつかヒントを考えてみたいと思います。

まず何よりも心がけなければならないのは、目先の点数に一喜一憂しないことです。

私たちはあまりに長い間学力イコールテストの点数という思い込みに囚われてきました。しかし新しい学力(21世紀学力)は、単純にテストの点数という形で表されない「考える力」です。

そして学校などのテストで問われる力は今でも、どれだけ覚えていたかという形式的記憶つまり暗記能力が中心です。

だから「点数が悪い」イコール「能力が低い」ではないこと。むやみにテストの点が悪いことで叱ったり、悲観しないことが大切。

その上でテストの点より内容をこそう問うべきです。

「テストの見直し」というとたいていは間違った箇所のやり直しだと考えるようですが、それ以上に「なぜ正解だったのか」を見つめることも大事なのです。

適当に書いたらたまたま当たっただけなのか理解した上で正解を出せたのかは全く違います。

「なぜ自分は正しい答えが出せたのか」 

その「正解」に至ったプロセスをきちんとたどり、明快に説明できるようにさせましょう。

自分が「理解」していることを他者に理解できるよう説明する力こそが大事だからです。

親としては「点数」にこだわらず「なぜそう答えたのか」そのプロセスを説明させる姿勢を保つ。すなわち「点数」より「内容」というスタンスでいて下さい。

子どもに様々な「問い」を与えよう

もう1つ大事なことは、親が子どもに「問い」を与えることです。

これはできれば子どもが小さいうちから日常的に行って欲しいことです。親はできるだけ子どもに問いかけをします。問いかけしたら「答え」は原則として言いません。それは子どもが考えるものだからです。

世の中には多くの「問い」がありますが、正解は一つではないが考えるべき重要な問いというものがあります。

たとえば社会的関心の高い子どもには「なぜ人と人、国と国が争うのか」「なぜ犯罪を犯す人がいるのか」問うてみるのもよいでしょう。
よくある問題としては、「3人が漂流中に2人しか乗れない救命ボートがある場合、誰が乗るべきか」という倫理的疑問もあります。

そのような大きな問題でなくとも、もっと日常に則した疑問もたくさんあります。

「イジメはなぜ起こるのか」
「自分の体調が悪くても老人に席を譲るべきか」
「車が来ないことが分かっていても赤信号を渡ってはいけないのか」
「牛や豚は殺して食べるのにクジラやイルカはなぜ殺してはいけないのか」

 どれ正解はすぐには出せません。正解を出すことが重要なのではなく、自分の頭で考えることが大切なのです。子どもがすぐに答えを出さないよう、親は注意しなければなりません。

「イジメはいけないことだから」
「暴力はいけない。話し合ったほうがよい」
「ルールだから」

などはいずれも表面的な思考であって、本質的な解ではないことを知ってもらいましょう。こういう考え方は思考停止の姿勢です。もっと掘り下げましょう。                

 たとえば、お子さんが授業中周りとおしゃべりをして、自分だけ先生に叱られたと言って帰ってきたとします。そういう時、親は子どもと一緒になって先生の「理不尽」を責めるかもしれません。

こういう場合でも安易に判断せず、子どもに問いを発しましょう。

「自分だけが叱られた」

こう考えてしまうと自分は被害者だという発想にしかなりません。それでは何も得られません。

せっかくだからこの機会を親子の「対話」の時間にします。

というのも「授業中おしゃべりするお前が悪い」とだけ責めても、子どもはますます理不尽の思いを募らせるだけでそこから何も学ばないからです。          

なぜ先生は自分だけ叱ったのか。先生の立場になって考えて見ることも大切なのです。

①他にもしゃべっている子に気づいていたが、一番うるさい子だけ叱った(一罰百戒)
②他の子に気づかなかった
③日頃から態度が悪く、叱る機会を待っていた
④見どころのある子だと評価しているからこそ、あえて叱った
⑤(先生の)虫の居所が悪かった 

様々な可能性が考えられます。 

子どもに問いを発することは、ただ考えさせるだけでなく、このように様々な視点を与えることにもなります。
また、対話を通じて親子の絆も深めることができます。面倒がらずぜひ実行してみてください。

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