私は最近講演や研修などで講師として呼ばれる事が多いのですが、そこで次のように質問されることがあります。
「私はすぐネガティブな考えに陥るのですが、どうすればそんな考えから脱出できるのでしょうか?」
「何かしようとすると、もし失敗したら…というネガティブな感情が先に起こり結局行動できないです。どうすればいいでしょうか?」
これに対してはこう答えることにしています。
「ネガティブな感情を持つことは悪いことではない。それどころか役立つ機能である。」
一時流行った「ポジティブシンキング」のせいかネガティブ即悪いと考える人が増えています。
そもそもネガティブな思いや感情といえば一般的に怒りや悲しみ、憎悪、嫉妬、妬み、落胆などを連想し、これらは好ましくないものと考えられているからです。
できればそんな感情は持ちたくない。そんな嫌な感情の持ち主だと思われたくないということです。
そもそも感情の命じるまま動くなど大人として恥ずべきことだという観念が強い。感情をコントロールしてこそ大人だというわけです。
しかしこれらの考えは大きな間違いだと私は断言できます。
なぜなら感情を抑え込んだりコントロールしたりすることはそれらを「無意識という貯水場」にためこむことであり、ついにはあふれ出して人格の崩壊につながる危険性があるからです。
「日頃は温和で従順な人」が突発的に怒り狂って周囲を驚かせることがありますが、その人は抑圧していた感情を噴出させただけのことです。
逆に物事がうまくいく人、周囲と強調して成果を上げる人は感情の表出が豊かな(発散がうまい)ことが多いのです。
これはコントロールしているのではなく、感情を持つことを自分に許しているからです。
そして感情はしっかり感じきることが大切。
なぜなら感情こそは─たとえネガティブであっても─その人の「本音」がどこにあるのか教えてくれるものであるからです。
“ネガティブ”は感じ切ることが大事
実はネガティブな感情は有効利用できるものです。
その前に、先ほど述べた通り、感情はしっかり感じきることが大事です。抑え込んでも形を変えて噴出するだけです。見て見ぬふりもダメです。それは抑圧と同じです。
たとえばあなたが理不尽な上司に怒りを感じたとします。ならば怒りを認めましょう。直接相手にぶつけるのではなく、まず一人の時にでもその怒りの気持ちをしっかり感じ表出しましょう。声に出して怒っても良いし、ノートに書きなぐるでも良いです(→ノートはけっこうオススメ)。
私なら悪態をつくでしょう。
「あの○○部長のやつ、勝手なこと言いやがって! オレだって一生懸命やってんだよ!」などと。
(但し誰もいないところでやることをオススメします)
そして少し冷静になったら相手のことではなく、自分が何に対して怒っているのか心の中を探ります。自分の心の中にこそ相手の言動に反応する何かがあるわけですから。
何が自分の中の「怒り」を誘発しているのか少し掘り下げてみるのです。
「イヤイヤ、悪いのは理不尽を押し付ける上司だから。」
あなたがそう言いたくなる気持ちは分かります。だから怒りをまず表出して下さいと言っているのです。相手が悪い(実際悪いのでしょうが)とばかり言っても何も学べないし関係改善も望めません。
もちろん「あたなも悪いところがあるから反省しろ」と言っているのでもありません。
たとえば上司の注文が細かすぎることや何かとダメ出しをすることにあなたが怒りを感じているなら「もっと自由に自分の裁量に任せて欲しい」というのが本音かもしれません。
さらにあなた自身が「上司の命令には服従すべき」とか「波風立てないのが良いこと」という固定観念を持っているのかもしれません。
自分の中の「怒り」の根源を探っていくとこのように自分の囚われや「本音」に気づくことができるということです。そうすれば怒りに支配されずに穏やかに自分の本音を伝えることが可能となり上司も理解してくれるかもしれないのです。
つまり上司の理不尽は、あなたが様々な「~すべき」というルールに縛られていること。そして自分の本音が何なのかを教えてくれたともいえるわけです。
ネガティブを利用して本当の自分に気づく
書いていて思い出したのですが、私は息子に新聞を郵便受けから取ってくるよう頼むことがあります。
マンションなので郵便受けは遠い。たいてい息子は嫌な顔をします。私はその都度不快感を覚えていました。
そして先日「新聞取ってきてくれないか」と言ったところ息子は「オレ、いまちょっと忙しい」とキッパリ拒絶したのです。私は得体の知れない怒りを感じました。カッと頭に血が昇るような怒りでした。
私は一人になってしばらく自分の怒りを感じてみました。そして自分の中へ潜り込んでみました。
「なぜ息子が新聞を取りに行かないとこんなに怒りが湧くのか!?」
自分の言いつけ(命令)を聞かないから? 素直な息子じゃないから?
それをたどっていくとこんな思いが浮かびました。
「オレは子どもの頃オヤジの言いつけを守ったのになぁ」
私は父にタバコや酒を買いに行かされたり、朝刊を父の枕元まで持って行かされていたことを思い出したのです。
母に命じられて買い物もよくしました。
「お前は言われたらすぐ動くところが良いところだ」
と彼らに褒められたことも思い出しました。
新聞を父の元に届けると、父は「おっ」と言って満足そうに受け取るのが常で私にはそれが喜びだったのです。
私はハッとしました。
私にとって父との親密な時間。それは新聞を取って来て父に渡す瞬間だったのです。新聞の受け渡しは親密さの象徴でした。
それで分かったのです。私が息子に求めていたのは、新聞の受け渡しを通じての、息子との間の親密な心の交流だったのです。私が息子に新聞の受け渡しを拒否されて覚えた怒りや不快感は実は一種の「悲しみ」であったこと。
父と息子の親密さを拒絶されたことへの怒りであり悲しみだったのです。
私はそれまで全く自分の真の要求に気づいていませんでした。私の本心(本音)は「息子との親密さを感じたい」ということにありました。
それならわざわざ「新聞を取ってこい」などと迂回路を選ばず、息子と親密であれば良いだけです。
そのことに気づいてから私は息子に新聞配達させず、自分で階下まで降りて取るようにしています。もちろん怒りは跡形もなく消えました!
私は父との関係性のパターンを息子との間で再現しようとしていたのです。
ネガティブは愛の表現
このようにネガティブな感情は、人の無意識にある固定観念や本当の願いをあぶり出してくれる、ある意味便利な機能であり有効利用できるツールなのです。
多くの場合、怒りや悲しみなどのネガティブな思いは、愛を求めていながらそれが得られないことに原因しているといえます。
そして無意識のうちに「愛」を拒絶したり諦めたりしていることを示しています。反して心は「本当の自分を認めて欲しい」と思っています。
“ネガティブ”はまさにそのことを訴える警報装置のような役目をしているのです。
多くの人はネガティブな感情を感じることさえ悪いことだと思いこんでいます。ネガティブに罪悪感さえ持つ人もいます。
しかしそうではないのです。ネガティブな感情は自分の深いところにある「本当の自分に気づいて欲しい」という欲求が示す愛情表現なのです。
ネガティブな感情は決して悪者ではありません。むしろ贈り物であると感謝して抱きしめて欲しい。そうすれば必ずネガティブという感情のエネルギーは解放され消えていきます。
役目が終わったからです。
ネガティブな思いはあなたが「本当の自分」とつながっていないことを教えてくれる有り難い教師なのです。
感謝して手放しましょう。
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