それ、何の意味があるの?
先日、新聞広告にデカデカと塾の宣伝がありました。
アピールしている内容は…「ああ、やっぱりな」という感じでした。
中間・期末テストの成績上げます!
この手の謳い文句を見るたびに、私は何とも言い難い複雑な気持ちになります。
なぜなら、否が応でも多くの人々がドツボにはまっていることを再認識させられるキーワードだからです。
学校のテストは学力がついたかどうかを確認する分かりやすい指標で、点数が良いに越したことはない。これは私も否定しません。
ですが、ふと気が付けば定期テストは抜群の成績なのに、実力テストや模試になると全く歯が立たない…
しかも肝心の入試に不合格。。。
こんな事例を一体どれぐらい見てきたことか(汗)。
このようなドツボのカラクリは簡単です。
要するに、家庭も塾も目先のことしか考えていない!
スーパーの安売りじゃないんだから、こんな即席のやり方でいいんですか!?
目先の利益に飛びついて実力はついていない─つまり大損しているわけです。
ちなみに‘手っ取り早い対策’ってどんなもの?という質問についてお答えしますと、
実は以下のようなことが平気で横行しているのです。
○○中学校の過去問をもとに、テストに出やすい問題をレクチャー!
さらにひどい場合には、
○○中学の△△先生の作った中間テスト対策やります!
その結果、「対策授業の問題がそのまんま出ました!」みたいな喜びの声を掲載…。
それ、何の意味があるの?
いや、それどころかむしろ、本来の教育と真逆のベクトルへ導く亜空間ワールドへ(ブルブル…震)。
だって…だってですよ? 「こういう問題が出るから解き方を覚えなさい」っていう、実力養成とは無関係な機械作業をさせるっていうんですから…。
例えばボクシングで「左ジャブ、右フック、左ジャブ、右アッパーの順でくるぞ」と教えて、全部よけることができたとします。
それで「よーしよし、な?我々のおかげで君は力が伸びたんだよ!」みたいなやりとり。
実戦で軽く秒殺KOされるのは火を見るより明らかでしょう。
消費者の皆さんにこそ言いたい
そういった次第で、先に述べたような‘究極の対策’を、臆面もなく誇るということには、やはり物申さずにいられないわけです。
ただ、現代塾批判ばかりしていても始まりません。
私が思うに、塾が仕掛け、消費者が仕掛けられているように見えますが、ある意味では塾も仕掛けられているのかもしれません。
これまで述べたような、子どもに降りかかる悲劇の裏には重大な問題が見え隠れしています。
よく考えてみて下さい。
なぜ多くの塾では目先の点数をアップさせようと躍起になっているのでしょうか。
それは‘消費者のニーズが、まさにそこにあるから’に他なりません。
塾、つまり教育機関といえども利益を出さなければ成り立たない一般企業です。消費者が望むものを提供することに、一方的な批判の矛先を向けられるでしょうか。
先日、教材会社の方と話しているときに、今のような話題で盛り上がったのですが、そこでこんな話を聞きました。
ある個人塾の経営者さんの話ですが、十数年前は私たちに近い理念で教育活動をされていたそうです。真の実力をつけなければ意味がない、と。
保護者もその考え方に賛同して、長い目で子どもの変化を見てくれていたようです。
でも時代の流れなのか、だんだんと保護者のニーズが「すぐに結果を!」というふうに変わっていきました。
そして、どうしてもそこに応える方向にシフトチェンジしなくては経営が成り立たなくなった、というのです。
子どもたちの十年、二十年先の未来まで見据えた教育に信念を持っていた人も、やむなく信念を曲げてしまった。
これは本当に残念な事例です。
じゃあどうすれば!?
第一歩として、きちんと我々大人がこの現状を認識しましょう。
これからの社会を生きていく上で、どんな力を子どもにつけさせたいか。
自分の教育に対する価値観は本当に正しいの!?
こう問いかけてみて下さい。
大人が一段高い視点を持つことで様々なことが見えてくるはずです。
‘授業料の安さ’ばかりを強調する塾があるとすれば、それは教育という子供の将来にかかわることがらをスーパーの安売りと同等にしか見ていない消費者が大勢いるということ。塾も「安かろう悪かろう」ぐらいに考えているということ。
「点数が上がらなければ授業料を返金します」という塾は、どんな手を使ってでも詰め込んで結果を出させる指導をするということ。
実態はこうなんです。
もう消費者が目を覚ますしかないでしょう。
大切なことに気づく人が増えれば増えるほど、より高い視点のニーズが生まれるでしょう。
私たち教育業界に身を置く者も、さらに高い視点で見る努力をすることは当然として。
そうすれば、お互いが一段上の次元で仕掛け合う状態になりませんか?
それこそが理想だと思うのですが。
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