最近の子どもたちは「反抗期」がないということが言われますが本当です。
私は40年近く思春期の子どもたちを中心に青少年と接してきましたが、年々子どもたちや若者が礼儀正しく従順になってきていると感じます。
昔は意味もなくフテクサレていたり反抗する子どもがクラスに必ず1人は2人いたものですが、今はめったにお目にかかれない。
私が20代のころ、大人と見ればつっかかって来るような猛者(!?)がそこら中に存在していて、私はそのような反抗少年たちとバトルをくり広げることで教育者としてのスタートを切った思い出があります。
当時は勉強を教えることより、学校でも塾でも「反抗少年」たちと格闘することのほうにエネルギーを使っていた気がします。
今考えると我々教師も彼らによって鍛えられていた側面もあったのかも知れません。
そして何より私自身、反抗する少年たちの気持ちが分かりました。自分(たち)もそうだったからです。
思春期にもなれば若者は社会の矛盾や大人たちの偽善に敏感に反応するものです。そこに若者特有の正義感やリピドー(エネルギー)が沸騰するマグマのように出口を求めてさ迷い、ちょっとしたきっかけで噴出するわけです。
このような若者特有の「反抗」エネルギーは必ずしも悪いことだけではありません。彼らの純粋な「反抗」は時として社会変革の大きな力となるからです。
かつて日本でも、中国、東南アジア世界各地でも若者が主導して社会改革を成しとげた例は枚挙に暇がないほどです。
明治維新、文化大革命、腐敗政権の崩壊から新秩序の建設は歴史的に見ても、若者たちの「反抗」エネルギーの賜物とさえいえるでしょう。
事実1960年代までは、こうした学生を中心とした若者たちの変革運動はスチューデントパワーと呼ばれ世界を席巻したのです。
とはいえ若者の「反抗」が世界を動かすほどのパワーを持ち得たのはこの時代が最後かも知れません。
そして今、若者たちが反抗しなくなったということは彼らから社会を変えるほどのエネルギーが失われたということであり、それはそれで少し淋しい気がします。
今どきの若者は内向しやすい
しかし、「若者が反抗しなくなった」といってもそれは日本だけの事情であって、外国-特に政情不安定だったり、貧しい国など-では若者の状況はそれほど昔と変わっていないようです。
今の日本のように社会が高度に組織化され、生活もソコソコ豊かな国では、若者の反抗エネルギーは「社会の矛盾」という外側に向かわず内向するのかも知れません。
「今の若者は元気がない」と一部に批判もあります。
こんなことで日本の未来はどうなる!
かつてスチューデントパワーで暴れまくった元若者(現老人)たちからは、そんな危惧の声も聞こえてきます。
私も心配になるときがあります。
世界はますますボーダレス化し、これからは仕事でも何でも世界を相手に競争していかなくてはなりません。そんな時代に向かおうとしているのに日本の若者たちはタフな外国の若者たちと互角に渡り合っていけるのかという心配です。
そういう不安もある一方で、それでも私は今の若者たちの礼儀正しさや気配りなどの洗練されたマナーや、自分の置かれた状況の中でそれなりに一生けんめい力を尽くす姿に好感をもっています。
それは私たちの時代にはあまり見られなかったものです。
昔の若者は「大人を信用するな」「体制打破」を叫んで、やみくもに反抗し概成の秩序を破壊することにのみエネルギーを集中する傾向がありました。親や教師に逆らい権威に立て突くことそれ自体が目的であるかのようでした。
そして劣等感(自分には力がないという)の裏返しである派手な大言壮語や暴力行為に走りがちでした。背景には社会がまだ貧しく(富が行き渡っていず)発展途上に特有の社会矛盾が多かったからです。
それに比べて豊かな時代に育った今の若者たちは、派手さはないもののその代わり「地に足がついて」いるのです。自分にできること、できないことを明確にし、その上で「できること」「やるべきこと」は誠実に果たそうとする。
私はこれはこれで立派な態度だと思います。
ただ、昔の若者がエネルギーの矛先を外側(大人や社会)に向けることができたのに対し今の若者はそれができないために、人間関係のあつれきや組織化された社会が持たらす窮屈-理不尽-を自分の中に抱えこみやすい。
そういう点では今の若者のほうが、色々な意味で鬱積してるといえるでしょう。
昔は反抗のエネルギーを外側に対象化した。今の若者はそれを内側に向け、ときには自分を責めるという形で自らを追いつめがち。
これは少し残念なことです。
私たち大人は彼らがもっと自信をもてるよう勇気づける必要があると感じます。
若者に勇気と自信を与えよ
若者たちに「自信」と「自尊感情」をもたせるには次の2つが重要と考えます。
1.自分の能力(できること)は自分が思っているより高いことを教える
2.社会的関心を高め広い視野を与える
この2つが徹底されれば、日本の若者は世界中のどこにもヒケを取らない優秀な人間となるでしょう。
まず1について。「自分の能力は自分が思っているよりは高い」のは何度も確かめられている科学的事実であるにもかかわらず、親も教師もなぜか子どもに教えようとしません。
なぜでしょう?
「子どもが鼻もちならない高慢チキな人間になったら困る」「謙虚さが失われる」とでも思っているのでしょうか。
そんな心配は無用です。能力というのは、自分の好きなもの-特質-のことで誰でも持っているものだからです。
幼いころに既にそのような特質は誰の目にも明らかで、親や教師はその特質をただ認め伸ばしてやれば良いのです。
どんな子にも人より優れた才能-得意分野-は1つや2つあるものです。
「何かを作ること」「楽器をひくこと」「しゃべること」「動物や昆虫が好き」「絵をかくこと」「歴史上の人物に関心がある」何でも良いのです。
今の若者は「自分のできること」は誠実に債務を果たす以上、その「できること」の領域を広げておくことは自信をもつ上で絶対条件となります。
2の「社会的関心」を育てることは、1の自分の「特質=能力」を単に個人的なものから社会に貢献する力へと高めるのに必要な要素となります。
世界では色々なことが起きています。それらには必ず政治的、経済的、歴史的背景があり、それぞれの関連を知ることが必要です。
背景を知らなければ、それらの出来事は個々バラバラの寄せ集めにしか見えません。
背景を見つめることで視野が広がり、さらに深い関心へと興味が拡大していきます。子どもたちのエネルギーを内向させることなく、知的好奇心の形で外側へ向けることは非常に大切です。エネルギーの方向づけですね。
そして1,2共に家庭教育で育むことができるものです。
親が何よりも子どもの特質(得意分野) を認め励まし勇気づけること。その上で社会的関心が育つよう、常に背景に何があるのか-表面だけでなく本質が何であるか-説明し語ることを心がける。
そうすれば子どもたちは己に自信と勇気を持つことができるでしょう。
今の若者は堅実で責任感も強い。だからこそ狭い領域に閉じこまらず、若いうちに自らの活動領域を広げ大きな視野で物事を理解する習慣をもたせたいのです。親の皆さんのご協力がぜひとも必要です。
日本の未来は決して暗くはない!
私は若者の力を信じたいと思っています。
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