最近あらためて感じるのは、世の中の多くの人は自己評価が低いということです。
以前子どもの自己評価に関する国際比較のデータで、日本の子どもたちが欧米や近隣のアジア諸国と比べて著しく「評価が低い」という特徴を見たことがあります。
これは子どもや若者だけでなく、大人も含め日本人全体の一大特徴ではないかと私は感じています。
日本人は全体的に自己評価が低い
この場合の自己評価とは、自分で自分に下す主観的評価のことで、日本人の多くが実際よりも己を低く見積もる傾向があるということです。
背景には日本の文化的伝統があるのかも知れません。調和を重んじ自己を高く押し出すことを良しとしない謙譲の美徳の影響です。
確かに実力以上に自分を過大に評価する人は、うぬぼれやすく傲慢で嫌われる傾向がある。
しかし、残念ながら多くの人は実際以上に自分に低い評価を下す結果として「本当の自分の持っている力」を出し切らぬまま人生を終えてしまっている気がします。
自己評価が低い→自信がない→チャレンジしない→不満足な人生
これはとても「もったいない」ことだと思います。
特に次代を担う子どもたちまでが自分に自信を持てないという現状は、将来を考えると少し心配になります。
自己評価が低いとチャレンジできない
自己評価が低いと困るのは、無力感や無気力にとらわれ夢や希望を実現するために、現状を打開したり問題に立ち向かう勇気がわいてこない点にあります。
自己評価が低いということは、自分に何かが欠落している感じ=不全感をもつことであり何かで埋め合わせしないといけない不安にとらわれやすいと言えます。
なかには、その欠落を埋めるために懸命に努力することで他者から評価されようとする人もいます。マジメに努力することで人から認められ、低い自己評価とバランスしようとするわけです。
一生懸命勉強する子どもの中にも、親からの「評価」を切望する子がいますが、極端な場合勉強しないと親に認められない不安に駆られて脅迫的にやっている可能性があります。(これを学習依存と呼びます)
一方、努力する代わりにイジメに加担したり他人の足を引っ張る形で不全感を満たそうとする人もいます。
あるいは、お金や財物、流行のファッションなど物質的なモノで欠落感を埋めようとする場合もあります。
いずれも共通しているのは、自己評価の低さから発生する不全感や欠落感を外側からの評価で満たそうとすることで、かえって「満たされない思い」「不足感や欠落感」を強めてしまうということです。
自己評価の低さをバネに自分を高めようと努力することは決して悪いことではありません。ただ、他者依存になりやすい点は理解しておく必要はあります。
恐いのは自信のなさが無力感に変わり「自分には何かを成し遂げる力はない」ついには「夢や希望など良きことを受け取るに値しない人間である」という認定を自分に下してしまうことです。
そうなるとせっかく良いことが起こっても、「これは何かウラがあるのではないか」とか「いいことは続かないんだよな…」などと必要以上に物事をネガティブにとらえ、状況を前向きに考えチャンスをいかすことができなくなります。
子どもたちに勉強を教えていて例えば「おお、英語伸びてるじゃないか!」とほめても「でも、数学が苦手で…」とわざわざ弱点に目を向け自分をおとしめてしまう。
スタッフに仕事の出来をほめても「いえいえ、私などまだまだで…」と素直に喜ばない。
もしかしたら本人は、舞い上がってはいけない。謙虚でなくてはと思ってるのかもしれませんが、私から見ればこういう人は自ら飛躍する芽を摘み取っているとしか見えません。
結局こういう人(子)は、チャレンジして失敗するよりは現状のまま(低い評価でいること)でいる方を好んでいるのです。
おそらく幼いころから「アレしちゃダメ。コレしちゃダメ」とマイナス評価され続けてきたのでしょう。
長所や得意分野を伸ばすより、欠点や失敗を指摘することで周囲と横並びでいることを良しとする長い伝統が影を落としている。
そう感じます。
誰もが我が子を「伸び伸び育てたい」と思いながらも結局は人目を気にして周囲をうかがい、突出しないよう(他人様に迷惑をかけないよう)「~しちゃダメ」と禁止命令を発することで自己評価の低い人間を量産し続けている。
そのことに私たちはそろそろ気づかないといけないのだと思います。
自分の内に基準を置くこと
では、どうすれば自己評価を高めることができるのか。どうすれば自己評価の高い子を育てることができるのか?
「ホメて育てれば良いのか」と考えがちですが、単純に能力をホメるだけではかえって失敗を恐がる人間になるというのが、最近の研究データでも明らかになっています。(=ココ)
じゃ、どうすれば良いの?と感じる人にはこう答えたいと思います。
自分で自分を認められる人間になるように育てる
自分を評価する基準を他者に置くのではなく自分自身にすえるということです。
評価基準を他者や世間の常識という外側に置くのではなく、あくまで自分の内部の価値観に置く。
自分の軸をしっかり持つということです。
「じゃ、自分がいいと思えば何やっても良いのね」
「自分がこうだと思えば他人など無視してつき進めばいいわけ?」
違います。この考えだとまだ周りの目を気にしています。「他人など無視してやる」という時点で外に基準がある。
評価の基準を内に求める。自分軸を持つということは自己中心(ジコチュー)になることではありません。
外側に振り回されない「自分になる」ということです。
例えば、例は悪いですが友だち10人と遊んでいて誰かが「スーパーで万引きしよう」と提案し皆が同調した場合、「俺はやらない」と言えるかどうか。
そして「俺はやらない」という動機が、万引きは犯罪だからとか社会的に悪だ、捕まったら恐いからではなく(それらは外側の基準)あくまで自分の基準、たとえば「小さなスーパーでは万引きは店にとって大きな痛手だから」とか「集団でそんなことするのは卑怯な感じでイヤだから」という自分なりの価値観にあることが大切なのです。
こういう理由で行動し続けると人は自分を信頼することができる。自分を認めることができるのです。自己肯定感が強まるのです。
大勢がAだと言っている中で自分だけがBだと言うのは勇気がいることです。しかし、自分の価値観(自分軸)を持つ人は外側に左右されない勇気と信念を持つことができるし、結局は満足のいく人生を送ることができるのです。
存在を丸ごと認めることが大切
なぜなら自己評価は、自己をどれだけ肯定できるかどうかその度合いによって決まるからです。自己評価の低い人は自己肯定感も低い。
自己否定のワナに陥っている人です。
そして言うまでもなく自己を信頼し認める自己肯定感の高い人は、自己評価が自然と高まるので経験する現実もそれに見合ったものになる。
つまり、周囲から高く評価されるようになります。
逆ではありません。周りから高く評価されるから自己評価が上がったのではなく、自己評価が高い人だから高く評価されるのです。
満たされない人生だから自己評価が下がったのではなく、自己を低く見積もるから周囲もそう見るということです。
だから実は話は簡単なのです。
自己評価を高めるにはどうすれば良いか
これに対する答えは、自分で自分を認めることにつきます。どうすれば自分で自分を認められるか。外に基準を求めず自分の内部に軸足を据えることによって。
具体的に言うなら、何かを考えるとき何か行動を起こすとき常に「他者の評価」を一切気にせず、己の良心に基づいて好きなことを好きなように考え行動する!
ということです。
自分の内側から沸き起こる自然とできてしまう行動に従うと多くのことはうまくいきます。
自分の内部の声に耳を澄ませばそれは自ずと姿を現します。
「好きなことを好きにやれって、そんなことできないよ」「家族もいるし、仕事も色々…」
そういうことを言っている限り自己評価は下がり続けるでしょう。外側ばかりに軸を置く人生は、ある意味奴隷的な生き方であって他者に操られた人生でしかありません。
自分の内部にある自然な価値基準に従って生きると、人は自分を信頼できるようになり人生もスムースに流れ出します。自ずと自己評価(自己肯定感)も高まり、満たされた毎日、たとえ苦労があっても充実した毎日となるでしょう。
もし子どもの自己評価を高めたいなら、子どもの存在そのものを丸ごと認めてあげてください。でも、その前に親であるあなたの自己肯定感を高めておいてください。
自己評価の低い子どもは、親もたいてい自己評価が低いものです。
「アレしちゃダメ」「コレしちゃダメ」「こうしないと○○になっちゃうわよ」「もう少し○○だといいのに」
これらのことばは全て条件です。子どもを条件付きで認めようとしているわけです。
丸ごと認めていない。
どんな人も条件付きの愛では満たされません。
親は子どもにアレコレ条件をつけず、その存在を丸ごと認めましょう。そうすればその子どもの中に自ずと自己肯定感が生まれ、それは高い自己評価と満たされた生につながるでしょう。
すでに大人になった人でも遅くはありません。
他者に依存せず、まず自分の存在を自分で認めて愛してください。
そうすれば後のことは自ずと整います。
根拠もなく自分を認めることはできないと、また外側に「根拠」を探さないようにしてください。「自分探し」を外に求めてはいけない。
自分の存在価値を外に求める行為こそが、ますます自信のなさを深める終わりなき旅という無限ループに陥る元なのですから。
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