今年は世界を揺るがす大事件が目白押しですね。
先週のアメリカ大統領選挙もその一つ。大方の予想に反してトランプが勝ちました。メディア・個人問わず様々な論評を見ていると、総評して「グローバリゼーションの終わり」「ポストモダンの価値観の終わり」といった感じですが、確かにイギリスのEU離脱から今回のアメリカ大統領選まで一連の流れを見るとそれも頷けます。特に今回の選挙では、いわゆるアメリカの「知識人層」の驕り、マスメディアの偏向が強く取り上げられています。知識人たちの持つ、世界はこうあるべきだ。そう考えない人間は愚鈍で哀れな人々だ、というある種の選民意識に対する一般民衆の強い反発を確かに感じます。
というのも、この反発(というほど強くはありませが)、私が大学入試の現代文を教えていていつも感じるものだからです。イギリスのEU離脱についての記事にも書きましたが、もう何十年も前から大学入試の現代文(評論)は同じテーマ、同じ結論の文章を繰り返し繰り返し掲載しています。正直なところ、冒頭の1,2段落を読めば結論が分かってしまうものばかり。だから生徒には「いつものパターン」を教え、そのパターンに当てはめて文章を読むよう指示します。すると、生徒たちは文章の大意をなんとなく理解してしまうのです。生徒たちは、こうして延々とうわべだけを変えた同テーマの文を1年も2年も読み続けるわけです。
考えてみれば不思議でなりません。現代日本には700以上の大学があります。入試が難しい大学に限っても100校近くあり、その中にさらに学部が分かれています。そのすべての問題が判を押したように「同じ」だとすれば、これはとても不思議なことです。たとえば、移民制限を「賛成」の立場で書いた文章などまずお目にかかりませんが、世論を見る限りそこまで賛成一色なわけではありません。数学のように、計算の答えが一つに必ず定まるようなテーマならいざ知らず、社会問題は必ず賛否それぞれに理屈があります。にもかかわらず、片方の理屈だけを無視するのであれば、それは封殺と同じです。高等学問の入り口である大学入試でそれが無意識のうちに行われているのであれば、かなり危険なことだと言わざるを得ません。
今回のアメリカ大統領選では、自分たちの閉じたサークルの常識を「正しいもの」として、そのほかの考え方を検討することもなく「愚か」とレッテル貼りするインテリ層の姿勢に対する反発が見られました。反発は大きな「揺り返し」につながります。揺り返しの連鎖で社会が不安定化しないためようにするためにも、様々な意見・立場をどちらも理解した上でバランスを取る必要がありそうです。
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