教育研究所ARCS

関連づけをやめて不幸な人生から脱出する

教育・子育て

物事を関連付けると不幸になる

私たちは物事―ヒトや出来事、状況など―を目にするとすぐにそれを何かと関連づけて連想します。

「子どもが勉強しない」→「入試に落ちる」→「将来真っ暗」

「上司に叱られた」→「きっと嫌われている」→「会社をクビになるかも」→「生きていけない」

「恋人からメールの返信がない」→「他に好きな人ができたのかも」→「恋人を失うかも知れない」→「生きていけない」

と、マァこんな風に。

事実は「子どもが勉強しない」「上司に叱られた」「恋人から返信がない」だけで、後のことはすべて勝手に関連づけてアレコレ悩んでいるわけです。

実は、この「関連思考」こそが多くの人の苦悩の原因であり、これを止めれば人生の不幸の大半は消えてしまうというのが私の考えです。

ではどうすれば止められるのか。

これが意外と難しい。

「子どもが勉強しない」は勉強しないという「事実」があるだけなのに、私たち(親)は過去のデータや記憶に基づいて、勉強しない→成績伸びず→入試に失敗→お先真っ暗な人生というふうに因果的に「不幸な結末」を予測します。

予測といってもこの判断(予測)は瞬時に行われている、いわば自動モードの思考だということです。
こうして「子どもが勉強しない」と「お先真っ暗」はイコールとなり「確定した」事実であるかのように受け取ってしまいます。

勉強しないことと人生失敗は関連していません。お金と幸せも直結していません。
上司から叱られたことも嫌われているかどうかと全く関連していません。
恋人から返信ないのも単に忙しいからだけかも知れません。

それでも私たちは一つの出来事(状況)から瞬時に無関係の要素を関連させて、いとも簡単に「不幸な結末」を作り上げてしまいます。

出来事に意味づけをしない

この「関連思考」を止めるのはなかなか難しいことですが、それでもこの「不幸」を呼び込む悪癖をある程度修正することは可能です。私自身の体験から説明してみます。

まず第1の心がまえとして

起こっている出来事に意味づけしない

これが重要。

私たちは「出来事」を目にすると何でもかんでも意味をつけようとします。要するにそれが何かを自分なりに解釈するわけです。

出来事Aが起こった(1)→これはどんな意味だろうと考える(2)→そして自分にとって「良いか悪いか」「安全か危険か」と判断し(3)→良いものなら喜び、悪いとか危険なら避けよう(4)とするわけです。

(3)以降は判断(推測・予測)とその結果で事実と関係ありません。
なのでポイントは(2)の意味づけにあります。「意味づけ」したから(3)以降の流れが生じたわけで、意味づけという解釈をしなければその後の動きは出てきません。

たとえば会社の会議であなたが意見を述べている最中、同僚のAさんとBさんが目くばせをして少し笑ったとします。とたんにあなたは不快になり「何だ、あの目くばせは!私をバカにしてるのか。」と意味づけし「やっぱりあの2人は私に敵対してるんだ。どうやってあいつらをねじ伏せるか…」などと考えを巡らせたりします。

これも最初に「バカにしている」という意味づけ(解釈)をしたことから一連の関連思考(妄想)につながったわけです。

当たり前ですが、AさんBさんはあなたのことをバカにしているかどうかは分かりません。もしかしたら2人は全然別のことで目配せをしたのかも知れません。
それなのに「目くばせ」「笑った」という事実にネガティブな意味づけをして苦しむ必要はないのです。
意味づけしなければそれは単なる「出来事」に過ぎません。

因果のワナにおちこまない

そして第2の心がまえは

因果関係にとらわれない

です。

私たちは科学や教育、その他諸々の常識的思考のせいで物事を因果関係で考えることに慣れています。
これも最初の「意味づけ」と同じく人間の第2の習性と言ってよいかも知れません。

因果論は確かに物事を分かりやすくしてくれる便利なツールですが、何にでもこれを適用することは「風が吹けば桶屋が儲かる」的なこじつけになりかねません。

原因と結果の法則は、たとえば水を百度まで加熱すれば沸騰するようにある種限定された条件下では正しいのですが、人間関係やそこから派生してくる感情そして幸不幸については物理法則のように普遍的ではありません。

「勉強しない」から「成績が下がる」も絶対的な真理ではありません。そもそも「ウチの子勉強しない」というのは親の主観であって、もっと勉強しない子と比較すれば「勉強するほう」かも知れません。(よくあることです!)

逆にろくに勉強しなくても成績はよいという子などザラにいます。教育に携わった者なら誰でも知っていることです。
「勉強しない」→「成績下降」と因果づけることはこの事実からも信憑性はないのです。

私たちは、このように無意識に因果関係に紐づけて未来予測をしてしまうものです。
因果関係は便利な道具ですがかえって「現実」を歪めることになりかねないのです。

たとえば先の恋人の例で言うなら、彼(彼女)からメールの返信が来ないという事実に対し「以前は毎日くれたのに…他に好きな人でもできたのか」「嫌われたのか」と勝手に解釈し、色々悩んだ挙句「なぜメールくれないのか? もう嫌いになったのか?」などとしつこく問い詰めたりするのです。

真実は相手はただ忙しかっただけなのに、その詰問と不信感をぶつけられたために本当に嫌いになってしまうということだってあり得ます。

実際は「嫌われていた」わけでも「他に好きな人がいた」わけでもないのに本当に嫌われてしまったわけです。

これなどメールが来ないという事実と嫌われたという憶測を勝手に因果づけた結果と言えるでしょう。

古い自分にとらわれずオープンに向き合う

ここまでの話で分かることは、私たちが苦悩したり不幸におちいるのは必ずしも出来事や状況のせいではないということです。

出来事や状況をどう解釈したか、つまりどう色づけしたかによるわけで多くの場合勝手に「不幸色」に染め上げているのです。

そしてその色づけは、過去の体験(データ)やら教え込まれてきた常識やら、個人的価値観によって知らず知らずのうちに自分固有の色合いに染めているのです。

当然私たちはその色を通してしか現実を見ることはできません。現実を正しく見ることは難しくなります。色つきのサングラスをかけて見ているようなものだからです。

青いサングラスをかけていれば、見える景色は全て青みがかっています。たとえそこに白いネコがいても青いネコ(?)にしか見えない。赤いサングラスでも同じ。

だから現実を正しく見たいのであれば、私たちはサングラスをかけていることに気づきそれを外せばよいのです。
それが第3の心がまえということになります。

すなわち
自分の過去のデータ(体験・記憶)や価値観とそれに基づく瞬時の判断(オートマチック思考)を止める

これは要するに古い自分を削り落とし新鮮な目で世界を見るということです。

ところでなぜ私たちは過去の体験や価値観を握りしめているのかといえば、自分を守るためといえるでしょう。
「出来事」を目にすると私たちは瞬時に過去のデータや価値観、社会常識の全てを動員して、良いか悪いか安全か危険かを予測し少しでも不利な状況を回避しようとアレコレ思考します。

予測はポジティブにもネガティブにも働きますが概してネガティブな方向に傾きがちです。これは「最悪」を予測したほうが、より慎重な行動に結びつき危険を回避できるからでしょう。
太古の昔の祖先から受け継いだサバイバル戦略なのかも知れません。

しかし、出来事をネガティブな方向に発展させる思考は進化に有利な資質であったかも知れませんが、今ではいたずらに現実をゆがめ、かえって不幸な状況を作り出す元凶となっているのです。

先の恋人たちのメールのように、私たちは「自分を守ろう」としてかえって「傷つく現実」を招き寄せているのです。

だから、最後の心構えとしては次のように言えると思います。

今の時代、私たちは「起こる現実」から自分を守ろうとしすぎないこと。過剰に自分を守ろうとすればかえって周囲に壁を作り、敵対したり孤立しやすくなる。

もっとオープンになること。物事に対し心を開き体験をありのままに受け取ること。恐れずオープンでいれば不幸な出来事は消えてしまう。

これが物事と向き合うということであり、向き合うと問題(不幸)は消えていくのです。

では、最後にもう一度まとめます。

1. 起こる出来事に意味づけをしない
2. 因果関係を使って未来を予測しない
3. 色付きサングラス(過去の体験、価値観にとらわれている)を外す
4. 心をオープンにし物事を新鮮な目で見る

私はこれらを実践することでかつて陥っていた不幸のループ(連鎖)から抜け出すことができるようになりました。

物事をありのままに見、関連づけ発想をやめることで視界はクリアーになりネガティブな出来事は自分の世界からどんどん消えていったのです。
ぜひ実践してほしいと思います。

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