文系バリバリの専門であるにもかかわらず、私はあまり本を読みません。より正確に言うと、本を読みまくる時期と全く読まない時期がハッキリ分かれているのです。それも年単位でオン・オフがあるものですから、オフの期間になると大人として恥ずかしいほどの無勉強っぷり。
それが、最近久しぶりに「オン」の時期がやってきています。オンの時期になると今度は極端にひたすら本ばかり読むようになりますので、なんとも知的な気分ですね。
そんな中で、最近読んだ面白い本をご紹介。
『不平等との闘い』稲葉振一郎・文春新書
最近出たばかりのようで、本屋さんに平積みされていました。内容をシンプルに紹介すると、前半がとてもうまくまとまった経済学史の概説、後半がピケティの著作を軸にした不平等についての具体的な分析です。新書で平積みされているところから、「全く門外漢の私でもたぶん読めるだろう」と高をくくって読み始めたところ、前半はスイスイ面白く読み進むのですが、後半になると一気にスピードが遅くなってしまいました。文章のいい回しや内容は決して難解ではありません。普段読んでいる哲学書のほうがよっぽど分かりづらいでしょう。にも関わらず、読んでも読んでも頭に入ってこない。これはなぜだろうと考えてみたところ、一つ思い浮かんだのが「術語」へのなじみの問題でした。
哲学書も同様ですが、難解な本には大抵「術語」が頻出します。術語とは、ある学問分野で特に定義されて用いられる特殊な言葉を指します。いわゆる「専門用語」というやつですが、これがとてもやっかいなのです。
大抵の術語はその言葉の中に様々な定義を内包しています。Aという術語が生まれる前にBとCという術語があり、この二つを合わせてAと呼んでいる。さらに、Bの前にはDとEがあり、この二つを合わせてBと呼んでいる、といった具合に、それまでの学者たちが作り出した考え方をどんどん発展させた結論としてAが存在しているわけです。
となると、このような術語が頻出する文章をスムーズに読むためには、上述したようなB、C、D、Eの考え方をしっかりと頭の中に定着させておかなければなりません。そして、世間一般に哲学書が難解だと言われる理由は、この術語の乱舞にあります。
当然この問題はすべての学問分野に当てはまるのですが、今回は「新書・平積み」という、いかにも素人OKな雰囲気にだまされました。とにかく新しい術語が出てくるたびに前のページに戻り、を繰り返した末にやっと読み終わりましたが、しっかりと内容が定着させるためにはもう一度読み込まなければならないでしょう。
考えてみれば、この術語の考え方って数学と同じです。数学が苦手な人(私もです!)は、数学とは「公式に数字を当てはめて答えを出す」ものと考えています。だからなのか、公式を覚えていなければ問題を解けない。よって数学の勉強は「公式を覚えること」であると思い込みます。しかし、この「公式」というのはまさに「術語」と同様、分解していってみるとより小さな「公式」の集合体であり、その小さな「公式」もまたより小さな「公式」の集合体です。
「本当に数学ができる人は公式など覚えない」とよく言われます。それもそのはず、立脚点となる定義さえ分かれば、そこから自分で公式を作り出していくことができるのですから。数学ができなかった受験期の私は、この言葉を聞いても半ば冷笑していました。「それができたら苦労しないよ。おれは純文系だぞ! 頭の構造が違うんだ!」と。そしてこの苦労を厭い、とにかく公式暗記で受験を乗り切ろうとした結果、数学は大人になっても「暗黒の世界」のままだったのです。
そんな数学嫌いの私ですが、術語が頻出する文献をたくさん読むうちに、数学の大切さに気づかされました。数学で訓練する内容は、実は文系で言うところの「術語の理解」そのものなのです。
「数学なんて社会に出たら役に立たない」「四則演算や2次方程式はいざしらず、微分積分なんて無駄」。こんな台詞をよく聞きます。確かに高2以降に習う数学を普段の生活で使用する機会は稀でしょう。しかし、高2以降のある程度複雑な内容だからこそ、「公式」も複雑になります。そして、この複雑な公式を自分の力で分解し再び組み立てる訓練を重ねることが、実は文系の学問を学ぶ上でも必須の能力(術語の読解)を得ることなのです。
「ぼくは(わたしは)将来文学部に行きたいので、数ⅡBは必要ないですよね」。こんな相談をよく受けますが、まさに文学部で勉強した私、数学を無駄だと思ってやらなかった私は声を大にして言いたい。
数学は必要です!
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