授業で現代文を教えていたら、こんな文章が出てきました。正確でなければフランス語ではない。正確な文は日本語ではない、というものです。時制・数から因果関係に至るまで徹底的にこだわり、あいまいさを残さない欧米言語に対して、日本語はあえてすべてにあいまいさを残すことをよしとする言語である、といった意味でしたが、これを読みながらいろいろと考えさせられました。
国語の現代文は、大きく二つの形式の文章を扱います。一つは論説文。もう一つは小説文です。一般的に前者は論理的な思考を育てるものであり、後者は人の心情を読み取る想像力を育てるものだと言われます。しかし、こと「問題を解く」段になると、論説文にも小説文にも大きな違いはなくなります。どちらも論理的な思考”のみ”を問うものに変わるからです。
もちろん小説が課題文であれば、問いは人物の心情中心になりますが、答えの導き出し方は「想像によるもの」ではなく、「論理性によるもの」なのです。Aは○○という感情を抱いた。その理由は、本文の○○行目に○○という表現があり、この表現は特定の○○という感情を指すものであると辞書的定義で定められているためである。根拠を明確にし、その根拠から導き出される結論が妥当なものであることを論じられなければ正解は導き出せず、問題の難易度が上がれば上がるほど、この論理的な思考ができていることが求められることになります。
国語ができると英語もできる?
「国語ができる人は英語も必ずできるようになる」。この言葉は英語が苦手な生徒を講師が励ます際の定番ですが、しみじみと「その通りだなぁ」と思います。国語が”できる”生徒というのはつまり、上述したような問いに正解できる生徒であるということです。その生徒はたぶん、上のような細かいことは考えず、「なんとなく」これが答えだと感じているのでしょう。しかし、「なんとなく感じた」のがなぜかといえば、上のような細かいことを無意識に把握している場合が多いのです。そして、このような無意識の感じ方は、英語を学ぶ上でとても重要になります。ただ無意識を”意識化”することができれば、急激に成績を伸ばすことができるようになるのです。
うちの子は英語ができない。国語はできるんだけど…。こんなお子さんをお持ちの親御さん。心配する必要はありません。必ずできるようになります。ただ、むやみに「英語をやりなさい」は逆効果かもしれませんね。それよりも、「得意な国語をもっと伸ばすために、”論理的な答えの出し方”を意識してみよう」と伝えた方が、最終的にはうまくいきますよ。
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