このブログをお読みになっている読者の皆さんは、小学生から高校生の子供を持つ親御さんの場合が多いと思います。受験の時期が近づくと、親御さんも学校のパンフレットを集め始めますね。“子供の将来を決める大事なことだから”と、真剣に読まれることでしょう。そして、しばらくいろいろと読んでいくと、ふと気づくわけです。
「似たようなことばかり書いてある」と。
私は職業柄、大学のウェブサイトやパンフレットをよく読みますが、このような状況によく出くわします。
「国際社会のリーダーとなる人材」「独創性のある思考力」
これらの言葉が本当に多い!
リーダーとなる人材や独創性が必要であろうことはなんとなく分かります。でも、少し疑問に思いませんか? リーダーシップは、人生で様々な経験を積む中で作り出されるものですから、分かります。でも、「独創性」って、どうでしょう?
そもそも、「独創性」って教育によって“育つ”ものなんでしょうか?
幼児期から本をたくさん読ませれば育つでしょうか。あるいは、理科の実験教室に通わせれば育つでしょうか。
もちろん自然に独創的な考え方を身につける生徒もいます。でも、そうならない生徒もたくさんいます。残念なことに、比率で言えば後者のほうが圧倒的に多い。
結論から言えば、「独創性」は育ちます。さらに言えば、具体的な育て方があるのです。
その方法をお話しする前に、少し考えてみましょう。
そもそも、「独創性」って一体何なんでしょうか?
一般的に、独創性とは、大勢の人とは異なった考え方を生み出すことを言います。独創性のある研究、独創性のある仕事。現代社会で最も求められるものかもしれません。そして、たいていの人は「自分には独創性がない」と思っています。世間で言う「独創性」には、非常に高いハードルがあるからです。“今まで誰も思いつかなかったこと”を自分が思いつけるとはとても思えない。大人になればなるほど、先人が積み上げてきた知識のすさまじさを痛感し、痛感するがゆえに「不可能だ」と思ってしまいます。
しかし、別に“誰も”思いつかないことを思いつく必要はないのです。ただ、“多くの”人と違っていればいいだけです。
そうはいっても、人の意見と違うことを適当に言っているだけでは、独創性とはいえませんね。それではただのあまのじゃくになってしまいます。
「独創的」であるためには、違いが“質的”なものでなくてはなりません。高校入試で求められる「独創性」も、この“質的違い”が答案に現れるかどうかを見ているのです。
”質的違い”を作り出す
私は高校生に世界史を教えるのを専門にしています。そこで今回は、数年前に高2生に世界史を教えていたときのエピソードをお話ししましょう。
世界史はご存じの通り、とかく覚えることが多く、耳なじみのない言葉が頻出する科目です。そのときはちょうど古代ギリシャが範囲でした。古代ギリシャ世界の発展の過程を説明するために、鍵となる戦争の名前を黒板に書いていきます。「ペルシャ戦争」「ペロポネソス戦争」「マラトンの戦い」「サラミスの海戦」などなど。わたしが一つ一つ説明していると、ある生徒がこう聞きました。
「先生、なんでこんなに戦争が多いんですか? なんで戦争するんですか?」
覚えることが多くてウンザリする、という愚痴かと思い、生徒の顔を見てみると、どうもそうではありません。とても真剣に、純粋に疑問に思っているようなのです。
わたしは一瞬面食らいましたが、同時にとても感動しました。高校生になって、「戦争はなぜ起こるのか」と真剣に考えられる生徒はそう多くありません。幼稚園の生徒が言う「空はどうして青いの」という疑問とは質が違います。質問してきた高校生は、近隣で最も入学するのが難しい県立高校の、しかも成績上位の生徒です。中学生の時から社会もしっかり学んできました。知識は大量に持っているのです。その上で発されたこの質問は、とても「根本的」なものでした。
実はこの問いこそが「独創性」の正体です。
ある戦争がどのようにして起こったのか、どのような経過をたどったのか、という知識は、まず「戦争というものがある」という前提を必要とします。言われてみれば当たり前ですが、高度な勉強をすればするほど、根本的な前提は忘れがちになります。目先の効率だけを重視すれば、「ペロポネソス戦争という、デロス同盟とペロポネソス同盟の戦いがあった」と覚えてしまった方が早いでしょう。しかし、「戦争はなぜ起こるのか」という前提から疑問に思い、考えていくと、その答えは数学の公式のように、すべての戦争に適用しうるのです。
私はこう聞き返しました。
「兄弟はいる?」
すると生徒は
「お姉ちゃんがいます」
「けんかすることある?」
「ときどき」
「なんでけんかするの?」
「(お姉ちゃんが)むかつくこと言うから、むかついて」
こう会話をしていくうちに、兄弟げんかが「プライド」の問題と「所有」の問題に端を発していることが分かってきます。「所有」とは、おやつの取り合いから、服の貸し借りに至るまで、一つしかないものを二人で分けるときに生じる諍いです。
つまり、戦争は「所有」という概念と非常に強く結びついているという結論でした。それが分かってしまえば、先ほど例に挙げた「ペロポネソス戦争」について、知るべきは誰と誰が戦ったかではなく、何を巡って争ったか、であることも分かるでしょう。さらに、もう一歩考えを深めれば、人類が戦争を行う理由の根本には「富の有限」があることに気づきます。
このような視点から戦争を見る生徒は、紀元前に起こった戦争についての知識を、現代の戦争にも適用することができます。この視点を持たない生徒よりも、物事を「大きく」とらえられるのです。
ちなみに、この例に挙げた生徒は知識重視の私立大学に不合格になったものの、最後は日本有数の難関国立大学に現役で合格しました。
鍵は「問い」にあります。問題になっている出来事の「前提」を考えさせる問いを発する習慣を持つこと。これが独創性をはぐくむことです。
「そもそも、なぜ○○は××なのか?」
このフレーズを合い言葉にしてお子さんに問いかけてみてください。
たとえば、積雪で麻痺する都心の交通機関のニュースを見たときに、「そもそも、なぜ雪はふるのか?」と考えるところからはじめてみることです。ちょっとした言葉を投げかけるだけで、そこから生まれる答えは、世界で誰も考えたことがないものではありませんが、確実に“他の人とは異なる”ものになります。
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