子どもにとって良い親でありたい。
子をもつ親ならどんな人もそう思うに違いありませんね。
じゃ、良い親とはどんな親なのでしょう。
理想の親ってどんな親なのか。
これが難しい。
良い親になるためのマニュアルとか、これぞ良き親の何ヶ条とか、そういう指針があれば便利かも知れませんが多分当てになりません。
私にも5人の子どもがいて、ハタから見ると子育てのベテラン(?)かも知れませんが実際は試行錯誤の連続であり「あの時ああしておけばよかった」「もっとこうしておけば…」という悔いも少なくありません。
ただ、子育ては大変でもある反面子どもの成長を見る喜びや楽しさもあり、また子育てを通して親自身も成長していくことを考えればあまり「良い親でなくては」と気負う必要はないのかも知れません。
唐突ですが、私の父は大酒飲みというかほとんど酒乱で子どものころけっこう苦労しました。
酒を飲んでいて何か気に入らないことがあると大変です。
チャブ台返しという言葉がありますが、比喩でも何でもなく本当にチャブ台が宙を舞い、皿だとかコップだとかガラス製の灰皿だとかがうなりをあげて飛んで来るのです。
止めに入る母親に対しても殴る蹴るの乱暴狼藉を働きます。
今ならDVで逮捕ですね。
ある時など暴れる父の元から、母子4人で脱出というか家出したこともあります。
殴られて赤黒く目を腫らした母親に連れられ私たち3人の兄弟が深夜、親戚の家に避難したのですが、さすがに子ども心にも惨めで情けなかったのを覚えています。
良い親を演じようとするな
ひどい父親だな!! 最低じゃないか! 家庭崩壊じゃないか!
そんな家庭で育ったなんてさぞかし悲しい人生だったね。
そんな風に思うでしょうね。
そうです。私も「暴れる父」を憎みうらみました。
(おかげで私は今も酒が飲めず、酔っ払いを見るとトリ肌が立つ(苦笑))
しかし今は少し違う見方をしています。
何だか妙に懐かしいのです。
それは、父が私が13歳のときに死んだからだけではないのです。
酔ってないときの父は非常に優しく子煩悩で、知識欲も旺盛な男でした。
以前にも触れたかもしれませんが、宇宙の成り立ちや植物鉱物の構造だとか歴史や文学の話だとかをよく私に語っていました。
この「知りたがり」「教えたがり」の性格が私に大きな影響を与えたことは間違いないのです。(特に父の語る軍隊時代の話は文字通り生きた歴史教材として私の中に今でも息づいている)
かえって、いつも「勉強しなさい」と私を追い立てていた母親よりもはるかに知識欲という点では好影響を与えたといえます。
もう1つ父が懐かしい理由。
それは彼が自分の良いところだけでなく弱いところ、醜い部分をさらけ出していたということ。
ある意味自分に正直と言うか、自分の弱点や欠点を包み隠さず(隠さなすぎでしょ! とも言えるくらい)子どもの眼にさらしていたことです。
今どきの親は、私も含めて子どもの前で自分の弱みや悩み(夫や妻への不満、職場や人間関係のストレスなど)を子どもの前で見せてしまうことをひどく悪いことのように思っています。
もちろん夫婦ゲンカやグチなどを何でも子どもの前にさらしてしまうのは良いことではありません。
まして私の父のようにDVやら酔って暴れるなどはもっての外と言えるでしょう。
それでも、私にとっては父が「弱い自分」「情けない自分」をさらしていたことは反面教師として、1つの戒めとなっているし、勉強の大切さを教えてくれたことは財産として生きているわけで、彼から学んだことはやはり大きいと思うのです。
私の父でさえこうなのだから、世の多くの親御さんは「良き親」かどうかあまり気にすることはないのだと思います。
良い親だったかどうかは結局子どもが何十年か経って決めるものですから。
1つだけアドバイスするなら、「子どもの前で立派な親を演じようとするな。むしろできるだけ自分に正直に生きて毎日を一生懸命生きよ。」ということでしょうか。
[…] 前に良き親とは…について話しました。(⇒理想の親ってどんな親?) […]