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人生は自分で決めているようで実は決められている!? ―私の長すぎる反抗期―

教育・子育て

人生は自分で決めているようで 実は決められている!? ―私の長すぎる反抗期―

最近自分の人生をふり返って「人生の方向を決めたのは何だったのか」と考えることが多くなりました。

若いころは自分の人生は己の力で切りひらいて行くものという意気込みでした。事実、色々な困難に出会いながらもそれを乗り超え、失敗もありながら達成感も味わい、それなりにドラマチックな人生を生きている実感を得ていました。

そこには、すべては自分の意志と力で自分の方向を決め、突き進んでいるという誇らしい気持ちもひそんでいました。

しかし最近ふと気づいたのです。
「自分の人生は本当に自分の意志で決めたのか?」
「この仕事は自分の自由意思で選んだものなのか?」
「もしかしたらこの人生はもっと早い時期に方向づけられていたのではないか」

つまり私がこのように人生を生きることは運命だった。自由意思でやってきたと思っていたがあらかじめ決められていたのではないかという思いです。

運命などという言い方は古くさいし、自由意思がないというのも現代人には受け入れ難い考えでしょうが、60を過ぎて自分の人生の軌跡を俯瞰して見ると様々な偶然的要素を貫く1本の必然の流れが見えるのです。

その必然の流れとは「教育」と「学校」です。

教育者は運命なのか

そもそも私は教育関係の仕事につく気はまったくなかったのです。まして教師になるなど論外。なぜか私には学校とか先生というものに対して生理的に受けつけないところがあった。
学生時代に塾講師をやったり、その後高校の非常勤講師をやったのもあくまでバイトとしてであって職業として目指したものではなかったのです。

「このまま教師として勤めないか」と誘ってくれる学校もありましたが、その都度私は頑なに拒絶し続けました。
20代も半ばになるのに定職につかず、就職活動もせず気楽なフリーターでいたかったのです。
そうこうするうちに勤務していた学習塾で、経営者と対立し半ば追い出される形で仲間と新たに塾を立ち上げることになった。そして経営責任者となり以来30年が過ぎた。
その間私はずっと自分のアイデンティティーを「教育者」ではなく「経営者」あるいは起業家に置くようになった。そう考えたかったのです。
ここでも私は自分を教育者と考えたくはなかったのです。

そしていま「経営者」を離れてフリーになったら、学校関係の仕事 -生徒の学力アップや先生の指導についてのアドバイスなど- が色々持ち込まれるようになりました。
そのため最近は小学校や高校まで出かけることが増えています。これまた以前の私にとってまったく思ってもいなかった出来事です。
こうしてざっと振り返ってみると、私は自分から積極的に望んだわけではないのにずっと「教育」に携わっていることが分かります。
結局、教育の仕事から逃れられない。

これが先に「運命」と言った意味です。

母親の怨念が「教育」へ導いた?

何というか、逃げても「教育」が追いかけて来るという感じ・・・。
そして若いころあんなに避けていた「学校」とか「教師」といま深くかかわっている事実。

何か自分の意思ではない、大きな流れのようなものが私をつかまえて運んでいこうとしている。そんな感じがするのです。

で、最近これは母親の影響ではないかという考えに行き当たったのです。
正確に言えば母親の怨念ではないかと!!

といって私の母は私を教育者-教師-にしようと考えていたわけではありません。特定の職業に就かそうと強制したことも1度もないし、ほのめかしたことも私の記憶する限りありません。
ただ、学校というものに対して異常に執着があった。学校あるいは学歴に対する執着です。

「本当は女学校に進学したかったが家庭の事情で高等小学校(今の中学2年生まで)しか行けなかった。」

これが私が幼少期~小学高学年くらいまでに常に聞かされてきた言葉です。
小学校低学年のとき両親を亡くした母は、親類の家に預けられてそこで育った関係で経済的理由もあり上の学校へ進学できなかったらしく、「自分は成績優秀でいつも1番だったのに進学できず、自分より成績の悪い子が進学したのが悔しかった」とよくグチっていたのです。

そんな背景からか、私の母は「学校」というものに愛着があるらしくPTA活動にも熱心で何かと学校行事にも参加したがるのです。
私の勉強にも口出しするし、クラスメートの事情にも詳しい。先生たちの情報にも通じているのです。

さらに授業参観や父兄会(当時の呼び名)にも必ず出席して積極的に発言もするタイプでした。
ここまでなら「教育熱心な母親」というレベルでそれほど特別な存在ではないかもしれません。

しかし困った問題が起こったのです。
私が小学校高学年になったとき、母はPTAの副会長に就任したのです。

今と違って当時のPTA役員というのはかなり大きな発言力があったようです。会長は基本的に男性がなるので副会長といっても、恐らく私の母は実質的に会長並みの権限をもっていたのかもしれません。

トラウマを克服し運命を受け入れる

何が「困った問題」かというと、母がPTA副会長に就任したとたん周囲の私を見る目が変わったことです。
何人かの教師は私の顔色をうかがうようになりました。
ある教師などはそれまでと態度を一変させ私の機嫌を取るような素振りさえ見せるのです。

私はショックを受けました。また学校行事などでPTA会長と並んで私の母が登壇すると、周りのクラスメートたちが私の方をチラチラ見ながら何かささやくのです。
私は嫌でたまりませんでした。恥ずかしかったのです。

私は自分が周囲から浮いている気がしました。
それまでも友人たちが、私の母を「教育ママ」と秘かに陰口を言っているのが聞こえていたからよけいにそう感じたのかもしれません。
年度の変わり目には、異動する先生たちがズラリと並んで私の家にあいさつに来るようになりました。

PTA会合の後には、校長や教頭など幹部の先生が我が家にやって来て遅くまで二次会で盛り上がります。父も酒好きなので深夜まで飲み会が続くこともあり、学校では見られない先生方の酔った姿を私は見るとになりました。(幼い私にとってはこれもショッキングな光景だった)
当時学校の先生は尊敬される存在でした。
母はよく「先生たちは大学でてるのよ」と言っていました。大学出が珍しかった時代。
私の故郷のような田舎では大学を出ているのは教師くらいしかいなかったのです。
今の人たちには想像できないくらい、学校とか教師は尊ばれ威厳のあるものでした。

で、私の母はそんな学校・教師たちと関わるのが好きだったわけです。

私はそういう母に対して、学校や教師という存在に対して反発というか嫌悪感のようなものを抱き続けたのです。

私は長い間これらの記憶を封印してきました。
意識的に思い出さないようにしていたといってよいでしょう。私にとっては一種のトラウマ的記憶だからです。

若いころ学校教師への誘いを拒わり塾講師を選んだのも、塾講師より会社「経営者」として自己規定したのも「教育」「学校」というものから遠ざかりたいという私の‘見えざる意図’があったからです。

でも皮肉なことに「教育」の仕事は私には向いていました。
私は偶然-たまたま-この仕事に就いただけだと思い込んでいましたが、いま振り返ってみれば決して偶然ではなく導かれていたものだと思うようになりました。

先ほど「母親の怨念」の影響と言いましたがそれだけでなく私はやはり、この道を歩むことが自分にとってはよかったのではないかと思い直し始めたのです。

最近、この子供時代の記憶が次々と鮮明に思い出されるにつれ、教育こそが私がもっとも慣れ親しんでいた環境だったのだと認識したからです。

私は、もう心の抵抗を手放し自分の運命を受け入れようと思います。
「今ごろ受け入れるのか?!」と言われるかもしれませんが、私なりに長く続いた葛藤の末に至った心境なのです。

学校・教育というものから逃げまくったあげくついに捕まったという気がしないでもないのですが、50年かかって元に戻って来たという感じでもあります。

私は「勉強しろ」と口やかましく言い、何かと学校に関わる母親に反発し逃れようともがいてきました。日頃エラそうに教育論を述べる私こそが幼児的な反抗心に捉えられていたのかもしれません。

長すぎる反抗期。長すぎる思春期(?)ですね。

今は素直に自分の運命を受け入れて、残りの人生を「教育」に捧げようと思います。特に若い人たちを育てたいというのが「夢」であり、それが私を育てた教育界への恩返しであると思っています。

それは同時に私自身の人生-母親も含めて-との和解でもあると思うからです。

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