最近の風潮に、「詰め込み教育はよくない」というものがあります。一昔前まで常識だった「詰め込み教育」への批判が今や当たり前になり、近頃はむしろ「詰め込み教育批判」自体が新たな常識として作用しているかのようです。
確かに、ただひたすら覚える「だけ」の勉強には全く意味がないと私も思います。しかし、それをもって覚えること全てに意味がないと言ってしまうのは、少し言いすぎのような気がするのです。
最近生徒達がよく言う言葉にこんなものがあります。
「おれ(わたし)、暗記とか本当に苦手なんですよー。」
この言葉を発する生徒の雰囲気は、大きく二つに分かれます。一つ目は、本当に悩んでいるケース。これは問題ありません。
今回問題にしたいのは二つ目のケースです。暗記が苦手である、という事実が、覚える勉強をしないことへのいいわけになっているケース。これはとても問題です。普段何の興味も抱いていないように見える生徒達も、実は親の教育方針を肌で感じ取っています。「覚えさせること」に罪悪感を親が抱いている場合、それは生徒にも確実に伝わります。すると、無意識のうちにその罪悪感がいいわけの材料に転化してしまい、「覚えないのは自分が悪いのではない。むしろ、覚えさせる教育をしている学校(や塾や親)が悪いのだ」と論理が構成されていくのです。何度も言いますが、生徒達は無意識です。しかし、自分の弱点を見つけても大して気にせず「苦手なんですよ」の一言で流してしまう生徒の反応は確実に”他人事”です。
覚えることは”悪”か
現代の教育で重視される「創造性」や「オリジナリティ」は、決して無から生まれてくるものではありません。たとえば国立大学の後期試験でよく課される小論文を見ていると、それがよく分かります。おもしろい発想や意見に到達するためには、必ず前提となる知識が求められます。環境問題について独創性のある文章を書こうとしたとき、環境問題がそもそもどのようなもので、どのような原因があるのかを「知って」いなければ、書いた答えは独創的ではなく、ただの「でたらめな放言」になってしまいます。さらに、細かい知識についても、あいまいなまま書いた場合、その知識から構成される文章全体が「不正確である」との烙印を押されてしまうでしょう。
覚えることはとても重要です。断固として覚えなければならない知識はあります。内容の「理解」と並列して「覚えること」の重要性をしっかりと伝えることもまた、現代の教育には絶対に必要でしょう。
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