教育研究所ARCS

15歳のイニシエーション②~トラウマからの脱出~

受験

人生を長くやっている人は皆心の中に何らかの“傷み”を抱えるものです。
あのときなぜあんなことをやって(言って)しまったのだろう。
どうして自分はあんな目にあったのだろうか。
後悔。反省。慙愧。羞恥。怒り…。

それらの感情が入り混じって、その人独特の「傷み」の記憶が蓄積されていきます。
ある人はその記憶に今も苦しめられ、またある人はそこから得た教訓を活かそうとし別の人は忘れえ去ろうとする。

もしかしたら人生とは、各人が自らの心の傷に対処するその方法によって色分けされ特徴づけられるものかも知れません。

心の傷みにどう対応するか。その違いこそが人生に深みを与え、時には美しく彩り時として浅薄にし破壊することもある。

そう考えたら、傷や痛みというのも否定的にのみとらえられるものではないのかも知れません。

日本人に共通するトラウマとは

上の話は、個人的に心の傷みについてのものでした。

もう一つ。私たちには「国民的な心の傷み」
国民的トラウマのようなものがあるのではないでしょうか。
それは一体何か。皆さんも考えてみて下さい。

日本人に共通するトラウマ……?
何だろう…?

太平洋戦争?違います。
高度成長?違います。

震災?
う~ん、ちょっと違うかな。

東京オリンピック?
違います(笑)

あーじれったい!早く言えよ!!←ひとりツッコミ

テスト。

えっ?テストって…あのテスト?学校とかでやった…。
マァ、そうですね。

夢にまで出る“学生時代のテスト”

恐らく皆さんも大人になっても一度や二度、学校のテストや入学試験の夢を見てウナされた(笑)経験があるでしょう。
それはたいてい悪夢(笑)ではないでしょうか。
それくらいテストという言葉やイメージには様々な、恐らく否定的な感情がついてくる。
マァ、私たち塾講師も生徒たちに四六時中テストをかしているわけで、そういう意味では罪をつくっているのかも知れませんが…。

いや、テストにビクつくという点では教育者も例外ではありません。
私は時々、塾の幹部講師たち相手に研修をやることがありますが、講義後に「次回テストします!」と言うと皆アオざめる(笑)。
テストと言うだけで彼らの顔に緊張が走ります。(笑)

終了後感想を聞くと、イヤぁ、緊張しましたとか、夕べは徹夜しちゃって…←一夜漬けかよ!
など「生徒丸出し」の言いわけオンパレード(苦笑)。
まっ、本物の生徒さんには見せられない光景ですね。

話を戻します。
我々日本人にとってトラウマになっている「テスト」ですが、よく考えてみるとテストそれ自体にネガティブな意味はありません。

テストとは、今まで学習した内容を理解しているかどうかを確認するため、もしくは入学試験、入社試験のように特定の集団、組織に入るための一定条件を備えているかどうかを見るための手段(ツール)として課せられるものであり、それ以上でもそれ以下でもないということになります。
確認と資格認定ですね。
私たちはどうしてもテストと言うと、学校=勉強=テストという一連の想像が自動的に起こり、順位づけられたり先生や親に叱られたり、入試の合否などの記憶が瞬時に発生してたちまち否定的(嫌な)感情がわき上がるのです。

ここでそのような自動的にわき起こる否定的感情の連鎖(ループ)をいったん止めて、冷静になって「テスト」の意味をもう一度考えてみたいと思うのです。

そう。テストから「勉強」にまつわるイメージを消してしまいましょう。
ついでに「先生に叱られた」とか「入試」とかのつながりも断ち切ってしまいましょう。
ただ、ニュートラルな状態でテストというものを見つめて下さい。

自立を促す成人儀式(イニシエーション)

こんな「テスト」を考えてみましょう。

人生の一大事を決めるとき。

安易な選択が取り返しのつかない悲劇を生むような場面。

たとえば結婚。
結婚してから相性が合わなかった…では双方にとって悲劇です。少々付き合ったくらいではなかなか本当のことは分かりません。
ですからいきなり婚姻届を出す前に、一定期間一緒に住み生活してみる。合理的といえば合理的ですね。

実は日本でも戦前までは、地域によってこの婚前同居はわりと見られた風習でした。
“足入れ婚“などと呼ばれていたようです。
現在なら同棲ですが、正式に結婚する前に一定期間「仮の結婚生活」を営んでみる。
その上で結婚するか、不都合(姑と折り合わないとか)があれば関係を解消するというもの。
マァ、この期間は相性などのテスト期間ということですね。

またもう一つのテスト。

成人と認めるかどうかをテストするのも、世界中で普通に見られることでした。

成人儀式(イニシエーション)がそれです。
どんなものでしょうか。

成人になる頃―だいたい14、15歳~16歳くらい―多くの若者は親からいったん切り離され、男の子は男の子どうし、女の子は女の子どうしで集団生活をします。(日本では若者宿とか若衆宿、娘宿などと呼ばれ、やがて戦中~戦後は青年団などへ変遷していく)

ここでは、親では教えきれないこと―たとえば社会的な厳しいしつけ、訓練やモラル、性教育など―が少し年長の者から徹底的に叩き込まれるわけです。

そして最後に大人として資格が問われる最終テストが待っている。
それはだいたい過酷なもので、たとえば日本で言えば隣り村の神社まで一昼夜かけてお札を取りに行くというものであり、何しろ外灯もない時代夜中に山の中を歩くなど大変な危険をおかさなくはなりません。

猛獣に襲われるかも知れない。谷底に足をすべらせるかも知れない。
つまり最悪命を落とすかもしれない危険なテストとなります。

マァ、無事に帰ってきても無傷なものはまずいません。全身傷だらけ血だらけという状態で還りつき、その代り仲間や先輩から大きな祝福を受けるわけです。

この過酷なテストに合格して初めて“成人”として認められるわけですが、その儀式を通じて本人も大きく変容せざるを得ない。

「そんなの昔の話でしょ。いま関係ないじゃん!!」
と思う人もいるでしょう。

しかし、親元から引き離され集団で厳しい訓練を受け、過酷なテストを受けることで身心共に“大人”として認知されるシステムは、実は人間の成長という観点から必要
だったと思われるのです。

それが15歳前後で行われるというのも、思春期の心理学という立場からも合理的なのです。つまり「自立」です。

昔は子どもを自立させる仕掛けが、共同体にシステムとして組み込まれていたこと。
そしてそれは人間の長い歴史の中で培われてきた“智恵”に基づくものだったということです。

何だか話が難しくなってきました。
15歳のイニシエーション。
次回はまた別の観点から話してみたいと思います。

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