”社会は暗記科目”という言葉、どこかで聞いたことありませんか?
お子さんをお持ちのお父さん、お母さん、どこかで言ったことはありませんか?
わたしは社会の講師として、そんなことはない、といつも反論します。でも、保護者の方の反応は大体一緒。「そうですよねぇ」と一見賛同してくれるのですが、その裏には「そういう建前ですよね」という雰囲気がちらついています。
でも、ほんとうに、社会は暗記科目じゃないんです。正確には、社会を勉強する「一番下手な方法」として暗記があるだけ。実は、国語にしても英語にしても、いわゆる「文系教科」としてひとまとめにされがちな教科って、しっかりやればやるほど「理屈」が重要になってくるんです。
そしてそれは、最先端の研究の場での傾向がそのまま学校の勉強にまで降りてきていることの証左でもあります。
皆さん、『文明崩壊』という本をご存じですか? 『銃・病原菌・鉄』というベストセラー本の著者であるジャレド・ダイヤモンドが書いた歴史の本ですが、その中ではこんな問いが立てられています。
「なぜ栄える文明と滅びる文明があるのだろうか」
この問いに対し、従来であれば、政治的な理由が答えとして出てきました。○○という王が悪政を行ったため、や、××という国に侵略されたため、と。そして、学校の歴史では、この政治的な理由を「答え」として教わります。
「ローマ帝国が滅んだ理由は? ゲルマン民族大移動」
といった感じですね。
しかし、『文明崩壊』に書かれているのはもう少し大きな理由です。当時の気候の変動や食糧事情など、地理的要素を分析することで、ある一定の「法則」を導き出していきます。
ローマ帝国が滅んだ理由を「ゲルマン民族大移動」と覚えるだけでは、その知識は使うことができません。なぜなら、ゲルマン民族大移動は紀元5世紀のヨーロッパで起こった単一の現象に過ぎないからです。しかし、気候や地形を理由とした場合、その知識はいろいろなところで使うことができます。同じ気候条件や地形の場所では、同じ結末が起こりうるのですから。
知識偏重から考える力の育成へとシフトする現代の教育の流れからいっても、実は「暗記教科」的に社会を見ることは「古い」のです。
「うちの子は理系だから、社会みたいな暗記教科はちょっと…」とお嘆きのお母さん、今こそ社会を得意にできるチャンスです。
コメントはお気軽にどうぞ