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知っていますか?子育てに必要なもっともシンプルな方法

教育・子育て

知っていますか?子育てに必要なもっともシンプルな方法

以前、子ども(息子)の問題に悩むお母さんの相談を受けていてこんなことがありました。

そのお母さんは、子どもが学校や部活で人間関係のトラブルを起こし困っていると言うのです。トラブルの内容自体は中学生ならよくあることで、大したことではない。
それより私が気になったのはお母さんの話し方や表情のほうでした。

生まじめそうで深刻な感じ。それに何とか息子を良くしたい。救いたいと必死な思い。それが伝わってくるのです。悲壮感というか…。

で、私はこう尋ねてみました。

「お母さんは、もしかしたら子どものために尽くすことは自分を犠牲にすることだと思ってませんか?」

するとそのお母さん「えっ、違うのですか?」と逆に聞き返してくるのです。

やっぱりか…と思いました。

子どものためには自分を犠牲にしてもという考え。一見これは子を想う母親の尊い気持ちとも見れますが、子どもには重荷です。

日本には、まだまだ母性崇拝の風潮が残っていて結婚しても子どもができると女性は「女」としてよりも「良き母親」であることが求められる。
昔よりだいぶ薄れたとはいえ、人々の心には子どものために自分を押さえて献身する母親像が一つの理想として残っているのでしょう。

さらに、自分を犠牲にして他者に尽くすという姿勢それ自体が何か美しいあり方に思えるのかも知れません。

このお母さんもそんな考えの一人だったのですね。

しかしこの一見美しい「自分を犠牲にしてでも子どもに尽くす」という考えは、どこか不自然であり不健全なのです。

この考え方をする人は、子どものために何かすることが自分を犠牲することだと錯覚しているからです。
エスカレートすると「自分を犠牲にしなければ子どもを幸せにできない」となってしまいかねません。

こうなると一種の倒錯です。

これほど極端でなくても、世のお母さんたちは子どものために自分を押さえている人が多い気がします。

それは本当に子どものためになるのでしょうか。

子どもの課題に親は介入できない

子どもが幼いときは、母親は自分のことより子どもに献身するのは仕方ありませんし必要なことです。

しかし、子どもが小学生になりさらに中学に上がる頃になれば、基本的に子どもの自発性を尊重し、やるべきことは自分でやれるようにしておかなければなりません。

「やるべきこと」の中には、友人とのトラブルや人間関係でのふるまい方も含まれます。

そもそも学校へ行くということ自体が、集団生活を通じて人間関係の基礎を学ぶためであるとさえ言えるのです。勉強は塾でもできるし、家庭教師に習うことでもできるからです。

とりわけ思春期は、トラブルという一見マイナスな出来事を通じて学ぶ時期なのです。

だからむしろ「トラブル大歓迎!」「悩んでいる我が子はすばらしい!」(笑)と言うくらいの気持ちでいるほうがよいのです。

それなのに親がそのトラブルに介入し、一緒になって悩むことは事態を複雑にしかねないし、子どもからせっかくの「学ぶ機会」を奪っているとさえいえるのです。

私の好きな心理学者にアドラーという人がいます。最近アドラーの心理学がブームになったので知っている人も多いかも知れません。※
フロイトの弟子にあたる人で教育に関する著作を多く残しました。

このアドラーによると、人間には3つの「課題」があると考えている。仕事、交友、愛の3つです。これらの課題はそれぞれが自分で取り組み解決していくしかないと言います。

で、ここで重要なのは―アドラーが繰り返し強調していることですが―自分の課題は自分が担うしかない。すなわち誰も他者の課題を背負うことができないということです。

人間関係で生じる問題の多くは、他人の課題に介入することによって生じる!

とまで言っています。
嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え
アドラー心理学入門―よりよい人間関係のために (ベスト新書)

たとえば子どもが宿題をやらない。
これは誰の課題でしょうか。
そう。子どもの課題です。
ならば親は、子どもの勉強にアレコレ口を出すことはできない。
親であっても子どもの「課題」を解決することはできないからです。

これでいうと、日本のお母さんたちは「子どもの課題」に介入しまくりですね(笑)。

「そうはいっても、子どもが問題を起こしたり、いじめなどのトラブルに巻き込まれるのは嫌だわ」

というお母さんも多いでしょう。
その気持ちは十分わかります。

確かに、起こさなくても良いトラブルを頻繁に起こしたり、暴力沙汰や不登校など深刻な問題を起こすと、親はとてもつらい気持ちになります。
そして「自分の育て方が間違っていたのでは」と自分を責めたりします。

それでも、あえて言いますがそのような自己処罰意識や自己犠牲の思いなどは全く持つ必要はないのです。

なぜならそれらも含めて子どもの課題だからです!

幸せなお母さんが一番良い

そうはいっても親の問題もあるのでは…?

と思う人もいるでしょう。

確かに世の中には、無責任な親というのもいます。育児放棄したり虐待などのニュースも流れますが。しかしこれはあくまで例外的な事例であって大部分の親はそうではありません。(マスメディアは例外的な事件だからこそ大きく扱うことをお忘れなく)

愛情不足が原因で子どもが悪くなるというのは、昔に比べたら極端に少ないのが現状です。

私はむしろ、今の親に問題があるとすれば愛情不足ではなく愛情過多な点だと感じています。
子どもに注意関心を向け過ぎるのです。

子ども、特に思春期の子どもは親に四六時中関心を向けられると、たとえそれが愛のなせる行為だとしても、看視されているような不快感と圧迫感を感じるものです。

まして母親が「自分を犠牲にしても子どもに尽くす」というタイプだったら、子どもは自分のすることなすことの全てに「親に心配をかけている自分は良くない」という罪悪感をもってしまう。

そして皮肉なことに、このような自己肯定感の乏しい子どもは―子どもに限らないが―トラブルに巻き込まれやすいのが特徴で、起こさなくてよいトラブルを次々と引き寄せたりしがちです。
不幸引き寄せ体質ですね。
そしてそんな子を見て、またさらに母親も罪悪感をもつ。

まるで罪悪感とトラブルの無限ループ!

ここまで行かなくても、お母さん方は子どもの成長だけを喜びとするあまり、自分の喜びよりも子どもの世話やら、子どもの生活に関心を向け過ぎている気がします。

生活全般が子どもを中心に回っている。

こういう家庭が大部分と私は感じています。

子どもにとって母親の愛情は必要だしありがたいものです。これなくして人間としてまともな成長は難しくなるからです。

しかし、大人になろうと懸命に背伸びをし、失敗を含めて様々な経験を積もうとしている思春期の子どもにとって、それは時に足カセであり息苦しいものでもあります。

それなら本当に子どもをもっと伸び伸びと、活力ある人として育てたいならお母さんに何ができるでしょう。

実は、それはとても簡単なことなのです。

お母さん:子どもにあまりうるさく干渉しない?
:はい、それも大切なことです

お母さん:あまり心配しすぎないようにする?
:そうですね。それも大切。

お母さん:子どものために自分のやりたいことなどをガマンしすぎない?
:そうです。だいぶ近づいてきました。

お母さん:わかった! 自分のやりたいことや喜べることをやってイキイキと過ごす。
:正解♡ そうやって過ごすのはどんな気分?

お母さん:う~ん、楽しい…かな。幸せな気分。
:そうです。幸せですよね。

子どもが健全に育つには母親が幸せであること。

これに優る子育て法はないというのが私の考えです。

それなのに世の多くのお母さんたちは、どうすれば子どもが良くなるか、どう言えばいうことを聞く子になるか、どう接したら成績が伸びるか。そんなことばかり知りたがろうとします。ノウハウを求めている。

これは一種のマニュアル主義です。

確かに、こんなときはこうしたほうが良い、こういう場合はこう言ったほうが効果的という各々の状況に応じた方法はあるでしょう。
巷の子育て本には、そのような瑣末(?)な情報が満載です。

しかしそれを実行するときの母親の心理が不幸だったらどうでしょう?

まず効果はないでしょう。まさに「仏作って魂入れず」です。

それは本末転倒な話にしかなりません。

逆にお母さんの心が安定していて、いつも幸せな気分でいたらそれだけで子どもの精神も安定し、自ずとやるべきことをやり成すべきことを成すでしょう。

子育てにもっとも必要なこと。

それは、子どもと一緒にいる時間を多くとることでもなく、子どもの一挙一動にフォーカスすることでもなく、先回りしてアレコレ心配することでもなく、まして自己犠牲などではなく…。

お母さんが幸せでいること

たったそれだけだということ。

子育てをハウツーでとらえてはいけません。
多くの情報に翻弄されてはいけません。
メソッドを色々仕込んでくることも必要ありません。

貧しく子だくさんだった昔の人を思い出してください。
昔は7人も8人も子どもを産み育てたものです。
親は忙しく、ロクに子どもに構ってやれなかった時代。そのころ子育てのメソッドなどあったでしょうか。
それでもほとんどの人は健全に育ちました。

大切なのは次のことです。

まずお母さんが幸せであること。子どもの全てを知り尽くさなくてもよいこと。ただ子どもの全体像を信じること。

ここから始めてください。

お母さんが幸せでさえあれば子どもも幸せです。

母親とはそれほど大きな存在なのです。

母親の気分次第で子どもの心は明るくなり、暗くもなる。子どもは見てないようでいつもお母さんの気持ちを全身で感じ取っています。

子どもは敏感にセンサーを張り巡らせています。お母さんがいま幸せなのかどうなのか、よい気分なのかどうなのか、常に察知しようとしています。

だからいつも幸せでいる。それが難しいなら良い気分を保つようにする。

そこにこそ努力を傾けて欲しいのです。

最後に伝えたいこと。

それは、お母さんは子どもにとって一番大切な人です。どうか大らかな気持ちで自信をもって子どもと接してください。

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