大学に入っただけでは駄目。
大学で真に力をつけたかどうかが問われる。
仮に有名大学に入ったとしても大学で十分力をつけた人でないと就職その他でも有利にならない。
前々回はそんな話をした。(「今こそ大学へ行く意義を問い直す」)
今回はどうしてそうなのかについてもう少し背景を探ってみたいと思う。
まずは大学生を採用する企業の側の問題。
この間も話したように、いま多くの企業は新入社員にイチから教える余裕がない。
挨拶の仕方、礼儀作法。社会人としての基本的なビジネスマナー。人間関係のイロハ。
昔のように徹底的な研修によってこれら仕事に必要な技量を今の企業は新人に行う余裕がない。それほど体力が落ちているのだ。
勢いすぐ戦力となる人材を求める。
戦力とは、上記の基本的な人間力に加え自発性、柔軟性、創造性に富んだ人間のことであり、従来にない発想ができる人である。少々ブっ飛んだ個性でも良い。
絶対的得意をもち、興味関心のあることはまわりが何と言おうとトコトン追究するくらい主体性がある人間のほうが戦力となる。
要するにマニュアル通りに、与えられた課題をこなすだけの受け身なタイプはいちばん要らない人間ということだ。
いま企業は世界を相手に闘っている。
国際競争力という点においてこの20年間日本は中国を始めとする新興国家にも後れを取り、もはや1人負けといってよい状態が続いている。
名目GDPこそ世界第3位だが、人口で割った1人当たりのGDPでは世界25位と大幅に落ち込んでいる。
平均的学力がソコソコ高いだけの「学校秀才」では戦力にならない。
そして上位との差は年々開いている。
つまり国も国民の生活水準もドンドン悪化しているのだ。
ただ、1つだけ確実なことがある。
日本という国がこのまま凋落の一途を辿るのか、それとも再びかつてのような栄光を取り戻すのか、その浮沈のカギを握っているのは人材だということ。
そしてその人材とは新しいタイプの優秀なる人材を指す。
それが先に言った、自発性や柔軟性そして創造性と発想力を兼ね備えた人間ということになる。個性豊かな人間。心配を恐れずチャレンジする人間。
そういう人間を育てられるかどうか。
そこに日本の未来、命運がかかっている。
しかしこんな「新しい優秀なタイプ」は残念ながらいままでの日本にはあまり多くない。
というか、いたとしても平均タイプを量産する日本の教育システムと同調を強要する社会的風土によって、そういう個性的タイプは排除されてきたからだ。
だが、もはやそんなことは言ってられない。
企業も政府も、文科省も表現は様々だが上記「新しい優秀な人間」の育成を急げという点では一致している。
それができなければ日本は世界の敗者となるという危機感だ。
その動きが高校以下でのアクティブラーニング授業の導入、2020年―正確には2022年―からの大学入試の大幅変更へとつながっているというのが真相。
つまり教育の見直しが必要であり、その集大成としての大学での完成度がまさに最重要となるのだ。
これからの社会学校秀才は通用しない
もう少し背景の話を続けたい。すなわち企業が求める人材がなぜ180度転換したのか、その背景についてである。
そもそも企業(日本経済全体)を取り囲む環境は、これまで経験したことのない未知な世界となっている。
急速に進展するデジタル化と巨大化するIT産業―この分野でも日本は大幅に立ち遅れている―。
働き方改革による日本型雇用制度の転換も、勤務時間の短縮を促しそれにつれてフレックスタイム制の導入や兼業の推進、出来高による待遇差の是認などこれまでにない制度変更が急速に進んでいる。
それでいて新しいビジネスモデルの確立も難しい。
何をつくれば売れるのか。どんな未開拓の市場があるのか。
環境や人々の権利に配慮しながら新たな商品やサービス、つまり社会的価値をどう創造していくのか。
その上でどう国際競争力をつけるか。誰も見通すことはできない。
だからこそどんな変化にも対応し柔軟に発想し新しい創造を成し遂げる真に優秀な人間が欲しい。
それは決して平均点が高いだけの学校秀才ではない。
いま日本全体が「正解のない問い」を前にしてたたずんでいる。
正解のある問いだけに向かいひたすらその解法を詰め込んできた「学校秀才」には、この状況を突破する手立てはない。
いま必要なのは勇気と知性そして行動力を兼ね備えた真の逸材の出現なのだ。
彼らが社会に出るとどんな動きをするだろうか。
彼ら―真の優秀な者―は会社の枠に必ずしも縛られないだろう。
いや、むしろ自らのキャリア形成する場として会社そのものを―言い方は悪いが―利用することのできる人間だと思う。
自らをステップアップする場として会社をとらえ、必要とあらば社外の人脈と交流しネットワークをつくり活躍の場を広げる。
人脈の輪は海外にまで及ぶかも知れない。
実はこんな人はいま確実に増えている。
知り合いのビジネスマンにもいるし、弁護士や会計士など専門職にも従来の仕事の領域を新しく開拓する者が現れている。
彼らはそれまでの「仕事はこういうもの」という固定観念に縛られていない。
会社内という狭い枠からも超えている。
新しい知識をどんどん吸収し、創造性に富み活動の領域を広げ斬新な発想をする。
彼らの特徴は柔軟で常識にとらわれず、行動力があり実に多彩な見方考え方をするところだ。
この、柔軟性、常識にとらわれない、多彩な見方と考え方。
これらこそが実は大学で伸ばすことのできる力なのだ。
では大学で具体的に何をどう学べばよいのか。
どんなキャンパスライフを送ればよいのか。
これについてはまた機会を改めて話すことにしたい。
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