視力の記憶はなぜか鮮明
つい最近、自分の眼鏡に違和感を感じたのでよく見てみると…
ノーズパッドがない(汗) ※画像はメガネのカメイ/スタッフブログより
パッドを止めてあったであろう両レンズのつなぎの部分に、部品の取れた突起のみが虚しくたたずんでいました。
これがなくなったことで感触が変わったり、眼球とレンズまでの距離が近くなって見え方が多少変わったことが違和感となっていたのか。
どうりでまつ毛がレンズに触れるはずだ。急に伸びたかと勘違いしていたよ(笑)。
ところで、私はいつから眼鏡をかけるようになったんだろう。
記憶を掘り返してみるに、高校生になってからだったと思います。
たしか、急に視力が0.3ぐらいになったはず。
多分、勉強のしすぎではなくゲームのやりすぎが原因。
‘急に’と記憶しているのは、中3まで実は2.0だったからです。
ところが、もっと記憶をたどってみると、小学校低学年のときは1.2と標準。
そして小学4年生頃は0.7へと徐々に低下。
しかし、なぜかそこから謎の視力回復2.0となったのです。
まあ、謎というのは誇張です。実は眼科に通いました。
でもね、私はつい先週まで大きな勘違い(記憶違いではない)をしていたんです。
目的を勘違いはしたが…
私が眼科に通った理由は「色弱の治療」だったのです。
色弱というのは、色盲ほどではないけれども、微妙な色の違いが分からない症状をさします。
遺伝的な原因がほとんどで男性の方がなりやすく、日本人男性で20人に1人程度の割合でいるらしいですね。
その眼科というのは東京の目白にありました。
治療方法が特徴的だったのでよく覚えています。
まず、アルコール(おそらくですが)に浸した小さなスポンジがたくさんあって、それを電極のような黒い棒の先に埋め込む。
そして手順に沿って数秒間ずつ、こめかみやら額やら顔面の数ヵ所に電極の先をあてがうのです。
ビリビリッとかなりの電気的刺激が走るのですが、我慢してやっていましたね。
私はこれを、てっきり視力回復のためにやっているのだと思っていました。
たまたまこの目白の眼科の話を何の気なしに母親と話していたところ、実は目的が違ったことが発覚したという。
たしかに、今思えば視力が悪くなったからってわざわざそこまで足を運ぶ?っていう疑問も出てくるはずなのですが、これまで全く疑問に思っていませんでした。
そして、その電気刺激が良かったのか、視力がメキメキと上がったのは思わぬ副産物でした。
え?色弱の方は治ったのかって?
どうでしょうね。検査の年によっては正常と判断されるときもありましたが、基本的には微妙な色彩の違い(例えば緑と茶が混じったような)は識別しづらいです。
たまに麻雀をやるとき「これ、赤ウーピン?」と人に聞いて、わざわざドラの存在を明かすぐらいですから(笑)。
気付かないぐらいがちょうどよい
真の目的とは別に、思わぬ副産物を得られることがある。
この件についていえば、それは視力の回復(一時的だったのが残念ですが)でした。
ただ、思い返せばそれだけではありません。
その眼科の待合室には子どもが飽きないようにするための小道具がいくつかありました。
その中にあったものがルービックキューブ。
今でこそ多様なバージョンがありますが、そこにあったのは3×3の6面という初代のもの。
そこで初めて立体パズルの面白さなどに目覚め、今の自分の肥やしになったようにも思われます。
もともとの色弱矯正という部分では芳しい成果が得られなかったものの、他に思いもかけず有益なものがいくつか得られた、ということです。
だから、なにかに挑戦したり実行してみるということは、その主眼になるもの以外のサブ的な部分も含めて意味がある。そんな風に思った今日この頃です。
ただし、ハナから副産物を期待したり、たくらんで物事にあたると、なぜか肩すかしを喰らうんですよね。
だからそういう副産物を求めない方がよい。
むしろ、副産物の存在にしばらく気付かないぐらいがちょうどイイんじゃないかな。
人生、さじ加減が難しい(苦笑)。
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