教育研究所ARCS

シリーズ教育を斬る!第3回「‘好きだと思う’ことのチカラ」

教育の変化と現場と家庭

高橋:逆に訊きたいのですが、池村さんから見て昔と今では勉強の仕方に違いってあるんですか?

─変わりつつある、という段階だと思います。高橋さんは私より少し若い世代なので一緒にするのも恐縮ですが、我々世代の勉強ってどの教科でも大体お決まりの設問ばかりでした。高橋さんは公立高校出身なのでご存知だと思いますが、昔の公立高校入試などはそんな問題ばかりでしたから、かなり高得点を取らなければ合格できないものでした。それがここ数年の間に入試問題も変化してきて、非常によく練られた内容になってきたんです。

高橋:なぜそのように変わったんですか?

池村─端的に言うと‘社会の要請’でしょうね。正解が用意されているお決まりの問いに対して「素早く答えにたどり着くこと」「記憶力が優れていること」、これらを試すテストだったわけです。そうなると、与えられたことを正確にこなす人にはなるかもしれませんが、新しい提案をしたり斬新な発想を持つ人にはなりにくい。だんだんそれがわかってきたから教育を変えなければ、ということになってきたわけです。

高橋:なるほど。入試問題が先ほど言われたように工夫されたものになれば、自然と勉強の仕方も変えていかなければならないというわけですね。

─そうです。だから公立高校の入試問題も最近は手強くなってきて、むしろ私立の入試問題の方が‘パターン問題’だったりするケースが目立ちます。

高橋さん高橋:じゃあ学校など教育現場では当然授業の方法も変わってきているということですか?

─問題はそこですね。入試問題が思考力や記述力を問うものに変わってきても、相変わらず多くの教育現場では「これ、試験に出すから覚えろよ~」と本質や背景知識をすっ飛ばして最初から簡潔にまとめたプリントを渡したり、考えさせる前に解き方を教えちゃったりとか。現場の指導はあまり変わっていないのが現状です。

高橋:それだと、初めて目にするタイプの問題が出るとなかなか解けないですよね。

─まさにおっしゃる通りです。自分が学んできた知識や思考方法を使っていかにその場で考えるかが重要なのに、旧来型の方法では本物の思考力はつきません。だからもっと思い切って教育を変えちゃおうということで文部科学省の2020年大学入試改革があるわけです。いま盛んにアクティブラーニングという言葉を聞いたりしませんか? あれはこういう流れの関連として出てきている取り組みなんです。

高橋:その一連の改革がうまくいけば、現場も変わるかもしれませんね。

─そこで肝心なのは周りの大人の意識だと思います。特に親がテストの点数だけを見て叱ったり目先の結果で何でも判断してしまうと、その勉強観が子どもにも染みついちゃいますし、塾なんかも商売だからその目先の結果を出させようと安易な教え方になったりして本質とはズレた勉強を助長してしまうんです。

高橋:今ふと思い出したんですけど、今の子どもってよく「疲れた」って言いません? 僕の親戚の子もやたらと連呼しますけど、昔に比べて忙しいんですかね?

─あぁ、よく「忙しい」「疲れた」って言いますね。確かに部活動なども真面目にやっていると思います。でも僕らの頃もそれは同じだったのに子どもがあまりそういう発言をした覚えがないですね。

高橋:そうなんですよ。僕の友人で教師がいるのですが、先生自身が部活の顧問として忙しく休みもないという状況だし、なんか社会全体としてせかせかと余裕がないのかなって。

─時代の反映が大きいのかもしれませんね。親も共働きであることが多いですし。

高橋:そうそう。親が「忙しい、疲れた」って昔より言うようになった気がするんですよ。親が言えば子も言うようになりますよ。それに忙しいということは‘時間がない’ということですから、必然的に‘遠回りしていられない’から、その余裕の無さが‘目先の勉強’につながっちゃうのかなぁと。

─時代の大変さという部分も背景にありそうだということですね。

高橋:そうだと思います。そうなると先ほどのキーワードである‘試行錯誤’をしながら一問に何時間もかけて悩むような経験が少なくなるのかもしれません。本当はそういう勉強こそ子どもたちにはしてほしいと思いますけれど。

提唱!‘好き’を突き詰める教育システム

─ところで、高橋さんが学生時代にやっておいて良かったことは何ですか。

高橋:やっぱり自分が‘好きだったこと’を長い期間かけてやってきたことは、それが何であっても糧になっていると思います。それこそ先ほどのミニ四駆とか、あとは父親が持っていたパソコンでBASICプログラムを組んでみたりとか。

─苦手なことを克服するよりも、好きなことをどんどんやるということですね。

高橋:好きなものっていうのは、やればやるほど‘発見’があります。好きだからこそ何かわからないことがあったり壁にぶつかったときに解決しようとするわけじゃないですか。極端な言い方をすると、そこにしか人間の成長はないと思うんです。まぁそれは言い過ぎとしても、嫌なものの訓練と比較すると成長スピードが格段に上だと思います。

─実は今日、高橋さんに「日本の教育システムにはコレが必要だ」ということを訊いてみたかったのですが、今の話にヒントがありそうですね。

高橋:まさに今日はこのことを一番言いたかったんです。僕が社会人になって感じたこととして、学生の頃にした勉強は基盤として全て役に立っているとは思いますが忘れちゃっていることも多いんです。結局ちゃんと頭に残っているものは好きな教科だけなんですね。だから一番好きな教科を周りのペースを気にせずどんどん進められちゃうシステムなんてどうかなと。

─なるほど! 細かい障害はあるかもしれませんが面白いと思います。

高橋:僕の場合は数学が一番好きで、それならさっさと先に進んで出来るだけ早く壁にぶつかった方がよいと思うわけです。サクサク解けて楽しかった数学において、とうとう「何だコレは!」というものに出会うわけです。そのときに数学がどれぐらい好きだったのかということがついにわかるわけです。そこで頑張って壁を超えたときに、ようやくその人の人生にとって何物にも代えがたい原体験になるはずなんです。

─それ以外の教科はどうしましょうかね。

高橋さん高橋:う~ん、それは仕事で例えれば雑務ぐらいの位置づけでいいんじゃないですか(笑)。やらなきゃいけないこととして処理する。そういうやり方でもそれはそれで基礎的な思考の土台を作るのには役に立つわけですから。それぐらい明確な違いをつけてもいいんじゃないかって。
池村─確かに。あまり好きでないものは最低限やっておく、というぐらいでも現実問題としてはほぼ困らないでしょうね。実際、算数や数学が苦手とかいう人でも、大人になってから「2割引き」の意味がわからないという人はいないわけですから、生きていく上で必要なことぐらいは自然に身につく。それなら好きなもの、得意なものに特化してしまおうという。

高橋:僕は数学が好きで大学では工学部に入り、機械工学の勉強をとことんやりました。結果として壁にぶつかってしまいましたが、真剣に勉強したからこそ別方向で本当に好きなことが見つかって、自分の天職である玩具開発というものに出会えたのだと思います。もしも、勉強を適当にやって壁にぶつかることもないまま、何となく機械工学の仕事についていたら、仕事がこんなに楽しくできていなかったかもしれない。全部の教科をまんべんなくやるよりも一つのことをとことん突き詰めてみて、初めて自分にとって本当に大切なものが見つかるんじゃないかなって思います。