教育研究所ARCS

シリーズ教育を斬る!第3回「‘好きだと思う’ことのチカラ」

遊びの試行錯誤にヒントがある

─高橋さんの場合、遊びについてもエピソードがいっぱいありそうですね。

高橋:自分の幼少期に『ミニ四駆』っていう玩具が大ブームになったんですが、いつも自分で改造していましたね。例えばボディの軽量化を図るために穴をあけたり車輪をトウモロコシの芯にしてみたり、あとは網戸を切ってとりつけて冷却化するとか、自分の思い付きで色々と改造していたんです。

『ミニ四駆』とは…
タミヤから発売された小型動力付き四輪駆動車模型。1980年代、90年代に小学生を中心に大流行した。現在、当時遊んでいた子どもたちが大人となり、その層を中心にブームが再燃しつつある。

─今そういう遊び方って滅多に聞かないですよね。何かを組み立てるにしてもかなりお膳立てされたキットになっていたりして。

高橋:そうなんですよね。で、僕らの時代なんかはさっきみたいに改造しているうちに穴をあけ過ぎてポキっと真っ二つに折れたりすることもあったんですが、そういう試行錯誤の末の失敗から学ぶことがとても多かったように思うんです。

─その試行錯誤というのが重要なキーワードかもしれません。なにせ今は簡単に攻略法を見られる環境ですから。

高橋:まさにそこです。遊び一つをとっても答えを知る術がなかったわけですよ。だから色々試すしかないわけで、そこが大きかったかな。それ自体が`‘何かを考える’という営みにつながっていたから。

池村─環境的というか構造的な要因をさらに挙げると、今の遊び道具って高性能過ぎると思うんです。昔のオモチャ、それこそ先ほどのミニ四駆やチョロQ(旧タカラから発売されたミニカーの一種)などは、物理的に子どもでもわかる構造をしていて、いわゆる出来心で分解してみたりする中で自然に仕組みを理解する機会が与えられていたじゃないですか。「ここは歯車がこういうふうに噛み合って、この部品を介して力が伝わるのか」みたいな。

高橋:なるほど。さっき僕が言った改造の話とつながりますね。分解も立派な試行錯誤の一つです。

─そこへくると現代の遊び道具は思考する余地を与えてくれるものが少ないと思います。スマホなんて仕組みなんかわかるわけがないし、分解などしようものならもう二度と元には戻せないでしょうから。我々の頃にもすでにファミコンなど比較的高性能な遊び道具はありましたが、まだ介入の余地があったように感じます。そういう意味では今の子どもたちの場合は自分でアクションを起こして知ろうと思える環境とか構造になっていないのかなと。

高橋さん高橋:僕らの頃はテレビゲームでも意外とアナログ的な部分はありましたからね。バグを直すためにカセットの差し込み部分に息を吹きかけたり、逆に一定のバグを起こすために電源を入れたままカセットを抜いて別のカセットを差したりとか。

─そうそう。そういうバグ的な攻略法がありましたよ。

高橋:肝心なのは、それがあらかじめ用意されていた攻略法ではなくて、予期しないところからユーザーである子どもが試行錯誤から発見したということですよね。そこにあるのは何か良い方法はないかという思考とか工夫とか熱意とかそういう頭脳の総動員であるわけですから。

─今私たちが話していることって机上の勉強にも、いやむしろ勉強にこそ必要な視点なのではないかと、ふと感じたのですが。

高橋:同感です。攻略法を簡単に手に入れようとせず、わからなくても時間をかけて自分の頭を使って一生懸命考えることはとても重要な経験だと考えます。