シリーズ教育を斬る!第2回「アートと自由と学校教育と」
人生には修業期間が必要!?
─ちょっと話題を変えて、オクダさんの学生時代において「この経験が生きた」ということがあれば教えて下さい。
オクダ:僕の場合は‘浪人’したのがよかったと思いますね。何年も人生の負け犬(笑)として挫折を味わったのは後々の大きな糧になったと思います。
─藝大は倍率がスゴイですからね。何年間浪人されたんですか?
オクダ:4年間です。僕らのときは倍率が大体40倍ぐらいで、周りにも4浪で入った人が多かったんですよ。あと6浪が二人いて、最高で12浪っていう人がいました。そういう人がいっぱい(苦笑)。
オクダ:僕が合格したときに、実家に電話したんですよ。妹が出たから「受かったわ」って言ったら、妹が「わかったわかった、お母さんにはうまく言っておくから」って。で、母親は旅行に行ってたんです。完全に受かると思われていなかったという(笑)。
─その浪人時代が人生の修業になった、ということでしょうか。
─よくわかります。若いころに多くの失敗をすることは有益だということですね。
オクダ:ただ、失敗した方がいい人と、失敗しなくてもいい人がいると思うんですよね。僕は失敗した方がいいタイプだった。適当に絵を描いてもそれなりに出来ちゃう田舎の天狗だったんで。
─全然違うタイプ、例えばコツコツ真面目に取り組むような人の場合は、そこまでの挫折を味わう必要はないかもしれませんね。
オクダ:まあ、そもそもそういう人は負け‘続ける’こともあまりないのかもしれないですしね。それでも‘頑張っても報われないこともある’という経験自体はした方がいいかもしれません。表面上の結果だけ見るとそうであっても、「本当はまるで報われていないということはない」ということがわかるはずだから。
美術教育の意義
─ところで、オクダさんの考える学校教育の一科目として美術があることについて、どのような意義があるとお考えですか?
オクダ:別に美術でなくてもいいとは思うんですが、何かを「創造する」という内容の科目が学校教育には必要だと思うんです。そのわかりやすい形式が美術の授業ということになるんでしょうけれど、ひとまず現状としてあまり良くないなということがありまして。
─何でしょう?
オクダ:よく駅のコンコースなどに、小学生や中学生が描いた絵がズラッと並んでたりするじゃないですか。あれがほぼ絶望的な状況なんですよね、特に千葉県に関して言えば。たまたまそういう年代の子を教える機会なんかがあったりすると、多くの子が同じような絵を描くんですよ。要するにどこかで絵の‘描き方’なんていうのを教わったみたいなんです。
─例えばどんな感じの絵なんですか?
オクダ:最近見たのでちょっと気持ち悪いなと思ったのは、いわゆる‘静物画’っていうのがあるじゃないですか。対象となる物体の背景がみ~んな一緒なんです。窓があってその向こうに必ず運河がある。ヴェネツィアか!みたいな(笑)。まぁ学校の先生がそういうふうに描けって言ったんでしょう。
─まさに描き方の公式を教えられているわけですね。
オクダ:そうです。そうすると‘創造性’というものは育まれないじゃないですか。僕の息子も小学生で絵を描いたりしますけど、息子には「みんなと同じ絵は描かないで」って言っています。
オクダ:先ほど池村さんの同僚が、僕のことを「生徒の自由なアイディアを引き出すのがうまい」と言っていたとのことでしたが、僕は基本的に‘教えない’んですよね。教えるとたちまちクリエイティビティを奪ってしまうから。放牧する感じです。でも、ただ放置すれば創造性を引き出せるかっていうとそういうわけでもないんで、そこは確かに難しいとは思います。
─う~ん…そうなると、どうすればいいのでしょう?
─なるほど。あらゆる仕事に通ずる話ですね、わかります。
オクダ:一番簡単で安易なのは、‘こうやりなさい’って同じことをやらせることなんですよ。だから実は美術って、そういう意味では一番簡単。算数や国語を教えるよりずっと。なので、‘先生の質’に全て左右されてしまう、非常に危ういジャンルだと思います、美術は。
─私は塾で理数系の科目を担当していますが、オクダさんのおっしゃる通り、なるべく教えないことがベストだと思っています。やっぱり自分で試行錯誤して発見したモノでないと、本当の意味で血肉にならないんですよね。だから最初から「こうやって解きなさい」って教えてしまうやり方は、本当に意味がないし教師の怠慢だと思います。
オクダ:怠慢っていうより、う~ん…それしかできない(苦笑)という人が多いのが実情なんでしょうね。○△学院以外の学校でも教えてきましたけど、少なくとも僕が見る限りでは、モノを創るっていう実体験が少ない人が教壇に立っているケースが増えてきたと感じています。
─テンプレートというか既にあるフォーマットに従って美術活動をしてきた先生が多いということですね。
オクダ:そうだと思います。でも、ある意味仕方のない状況でもあります。自分が通ってきた道を子どもたちに伝えるしかないわけですから。僕はそういう道を通っているわけではないのでそのやり方はしませんが。
─まさに‘負け続けた’経験を通して、‘自分の中から絞り出す’ことを伝えているわけですね。
オクダ:ですね。少なくとも画一的な‘やり方’というものには賛同しません。僕がやっているコンドルズの活動なんかもそうです。いま、学校教育にダンスが取り入れられたでしょう? あれって結局のところヒップホップで、「みんなで動きを合わせましょう」っていうものですから、当然できない子もいるわけですよね。僕らがやっているワークショップはそうでなくて、メンバー17人もいて全然動きが揃っていません。僕なんか協調性ゼロなんで(笑)。だからEXILEみたいなダンスだけじゃなくて、「誰でも出来るこういうダンスもあるんだよ」っていうのを日本全国回って広めているんです。