シリーズ教育を斬る!第1回「法曹界から見る現代教育」
学生時代の勉強に必要な視点とは
―さて、話を元に戻して…というか、ある意味続きになりますが、学生時代の西田弁護士は、学校の勉強に意義を感じていましたか?
西田:中学や高校時点では気づけていない部分はあったでしょうね。でも大学や社会に出てから、「あぁ、これはあのとき勉強したことだ」とか、「覚えたことがこういうふうにつながってくるのか」という気づきはたくさんありました。数学の微分積分などは自分の場合は使う機会がなかったから、全ての勉強についてそうとは言えませんが。
―後から考えてみると、「これは学生時代にやっといてよかったな」という気づきですね。
西田:そう、それは大人になってから痛感するはずです、間違いなく。ただし、それを大人が子どもに本当の意味でわからせることは難しいですよ。できることがあるとしたら、教えられることには限度があるということを知った上で、大人が方向を指し示すことぐらいですかね。
―勉強していく上でのアドバイスというか、注意点はありますか?
西田:絶対の得意科目をつくること。国数英理社、全部必要だからといって、どれも全力投球しなきゃいけないわけではないと思います。それよりも、何か自分の得意科目を作って自信につなげること。「勉強したからこれができるようになったんだ」という自信を持って社会に出てほしい。そうすると‘勉強嫌いではなくなる’ので、いざ本当に勉強すべきものに出会ったときに、そこでまた勉強できるわけですから。
―まさに、勉強そのものが嫌いではない、ということが重要だと私も思っています。芯の部分にそれさえあれば、大人になってからいくらでも学び直せるので。
西田:そうです。どんな世界に進むとしても必ず何かを学ばなければなりませんから。そのときに勉強できる準備ができていることが肝心ですね。あとは強いて言えば、極端に苦手な科目をなくすこと。いつか壁にぶつかったときに、「そういえばこういうことがあったな」という一つでも知っていることがあると、多少苦手な分野でも勉強しやすいですから。結論としては、学生時代の勉強は結果的に全て有益だとは思うけれど、どれも死ぬほどやらなきゃいけないわけではない、というのが私の考えです。
司法試験から見える暗記の意味
―せっかくの機会なので、司法試験についても聞かせて下さい。私自身も含めて興味を持っている人が多いと思いますので。
―ロースクールではどんな学び方をするんですか?
西田:密なカリキュラムを組みますが暗記型ではなく、広く問題提起されてそれに対して検討していく、いわば思考型の学び方ですね。しかし、結果的にどうなったかというと、このシステムによってロースクール生の視点は広がったけれども、逆に暗記しなければならない部分が弱くなってしまったんですね。
―なるほど。学校現場の取り組みの中でもよくある話です。
西田:実は司法試験には予備試験というものがあって、それにパスするとロースクールに通わなくても受験資格が得られるんです。予備試験は改革前の暗記型司法試験のようなものなのですが、予備試験のルートで司法試験を受ける人は全体位の一割にも満たないのに、その人たちが司法試験にすんなり合格してしまう。つまり旧来通りにガチガチに暗記してきた人が受かりやすい、昔と変わらないじゃないかという状況になってしまったんです。そういう問題がいまだ残っているのが現状ですね。
―でも、もちろん暗記力だけで通る試験ではないはずですよね?
西田:司法試験は、何となくの世間一般のイメージでは暗記型だと思われているし、実際そうである部分もあるのですが、当然それだけでは合格できませんね。論文式試験がメインですから。それでも最低限の暗記というものは必須なわけで、知識がなければそもそも対応できません。
―納得です。学校の勉強の中で比較的に暗記の必要量が少ない科目であっても、確かな知識がなければ考える材料そのものがないということですから。
西田:まぁ実際はやたらめったら暗記する必要もないんですけどね。試験には六法全書を持ち込んでよいわけですから。「大体このあたりにこういうことが書いてあったな」ということがわかっていればいいんです。
西田:まさにそういうことです。知識の暗記について端的に言うと、司法試験も学校の入試も‘思考する前提での知識’は必要だよ、ということになるでしょうね。もちろん、ただ言葉を知っているレベルの暗記知識ではなく、‘正確な定義や意味の理解をともなった知識’こそが必要なのは言うまでもありませんが。