教育研究所ARCS

【遂に最終回!】そして僕はまたススム

塾長奮闘記

そして僕はまたススム

そこには信じられない光景がありました。受付初日、なんと100人以上の人が押しかけたんです。大部分はI塾の生徒の親たちでした。1人のお母さんが私にそっと封筒を差し出します。中に一万円札。表には「祝御創業」とありました。この文字を見て、我々6人とも思わず涙…でした。

結局我々の新しい塾クセジュが冬期開講するまでに、300人を超える生徒が手続きしたのです。受付開始以来毎日続々と入塾希望者が殺到し、特にI塾の生徒たちが8割ほどを占めていました。こんなに多くの生徒がI塾をやめて「クセジュ」に移った背景には理由がありました。

I氏は我々を解雇するとすぐに「事情説明会」と称して保護者を集め「管野らは生徒を放置して勝手にやめた。職場放棄だ」「管野らは会社の取締役でありながら会社に損害をかけたのでその点でも訴えている」と批判したそうです。それに対して親たちは「もしそうならそのような社員を雇っているあなたの責任ではないのか!」「子どもたちは先生たちを信頼していると言っており、その先生たちをクビにしたのは納得できない!」等の反論続出。紛糾の末、怒った親たちが次々と席を立ったということです。

だけど私たちは気を緩めるわけにはいきませんでした。本当に私たちが信用を勝ち取るためには、誰よりも生徒のことを思い真の力をつけなければ…。目先の点数を追うだけじゃない、本物の学力。そのためには今までの塾のような、受験知識だけを詰め込んで丸暗記を強いるのではなく、生徒がもっと興味を持つ授業法、教材、システムを作っていこう。そうすることが我々について来てくれた生徒や親への恩返しではないか。そう思って我々は不眠不休で働き続けました。当時世に出始めたばかりのビデオを使った授業、ディベートを取り入れた時間外学習、小説の朗読テープを聴いて感想を書く試み…等々。

それこそ考えつくものは何でも試しました。「ビデオばかり見せて授業はやらないのか」という苦情も来たりしましたが(笑)、我々はそれでも「どうしたら『理想』の教育ができるか」夜を徹して議論していました。これらの試みのいくつかは今でもクセジュの伝統となって続いています。

裁判のほうは月1回のペースで淡々と進み、我々の事実上の勝利で終わりました。その間5年もの歳月が過ぎ、私がこの「事件」から学んだ大きなこと―それは結局人を信頼することの難しさ、信頼されていることのありがたさです。そして塾としての理想、会社の経営方針をきちんと全職員に伝えることの大切さも。先にも言った通り、I氏には優れた経営者の資質があったと思います。にもかかわらずワンマンで性急だったために「事件」が起こってしまった。もっとじっくり自分の方針や考えを皆に語っていれば恐らく違う展開になっていたでしょう。I塾は一年後には倒産し、I氏も業界を去りました。

あれから20年以上が経ちます。世代も変わり、当時地域を震撼させたあの「事件」を覚えている人も少なくなりました。クセジュのスタッフの中にも私が「被告」であったことを知る人はごくわずか。歳月の流れを感じますね。

しかしいかに時が過ぎ時代が変わっても、子どもたちの潜在能力をできる限り引き出し伸ばしていく教育の重要性は変わりません。むしろこれからの時代ますます重要になっています。冒頭で述べましたが、この20年間子どもたちの気質も確かに変わってきました。素直で柔軟なところは昔よりも優れていますが、教材でも情報でもなんでも与えられるせいか、受け身で、自ら疑問を持ち考えることは苦手なんですね。すぐに諦めず、小さなことにも疑問や好奇心をもって主体的に考え行動する子を育てる。これが今私たち教育する者にとっての大きな課題です。

さて私の話ももうすぐ終わりです。おかげさまでクセジュもこの20年ずい分大きくなってきました。経営者として才能のない私を支えてくれる優秀なスタッフがいればこそと感謝しております。そして何より、私が窮地に陥るたびに励まし暖かく支援してくれた数多くの生徒、保護者の皆様に心から感謝いたします。塾がどんなに大きくシステマティックになっても、私は一講師として生徒や親御さんたちとの交流を大切にしていきます。それこそが私が人生から得たもっとも大きな学びだから。

※2005年当時に書かれたものをそのまま掲載しておりますので、文中の年数が現在と異なる部分がございます。