教育研究所ARCS

【第9回】さすらい教師デビュウ編

塾長奮闘記

さすらい教師デビュウ編

私が足立区の塾を閉鎖して松戸に引っ越した話に戻ります。その頃既に埼玉の私立高校で教えていた私ですが、その後義理があって都内と千葉県内の男子高でも教えることになりました。さらに、流山(江戸川台)の塾―といえばもう懲りた!と言いたいところですが―で性懲りもなく教え始めました。というのも子ども(長女)が生まれる寸前で、ますます生活費を稼ぐ必要に迫られまして…。ただ私の中に「塾でやり残したこと」があるような気がしていたことも事実です。

そりゃあ忙しかったですよ。高校を3つ(後に2つになった)かけ持ちで夜は塾でバイト、間に学生としての勉強が挟まるという殺人的スケジュールでしたからね。死ぬかと思いました(笑)。でもこの時ある「事実」に気付いたんです。それは学校と塾との相違点。学校の先生と塾の先生という立場の違いもありますが、何より生徒の反応が全く違う。どちらが良い・悪いではなく、公教育と民間教育の違いなんでしょうが、いずれにせよこの時期私がどちらも経験できたのはとても貴重なことだと思っています。

最初に行った埼玉県の高校(共学)は、たまたま英語の先生が急病で代役を頼まれた私の大学の研究室が、私に「推薦したから」と回してきた所でした。確か一学期間という契約だったかな…。始めに職員室で私の担当教科が「英会話」と聞いたときはビックリしました。か、会話~? 戸惑っている私に中年の女教師は「大丈夫です。ウチの生徒はレベルが低いのでキッチリしなくても…」と言います。普通に読んで訳せばいいということでした。それなら、と教室へ向かおうとする私に、彼女は追い打ちをかけるように「先生のクラス(3年)は問題児が多いので最初に厳しく…ね」と激励(?)の言葉がとんできました!

私の受け持ちは3年生が2クラスに2年生が1クラスでしたが、最初に入る3年生のクラスはいわゆる就職クラスで、勉強する気はないという話。しかし、勉強が苦手な子たちは足立区の塾で経験済みだ!と私は気にせず入っていきました。ところが自己紹介して出席を取り、教室を眺めた瞬間、やはり「ヤバイ」(笑)と感じましたね。全体にドヨ~ンとよどんだ雰囲気が漂い、要するにサカマキ君みたいなのがいっぱいいる(笑)と言えばおわかりでしょうか。

でも私は努めて大きな声で元気よく授業を始めました。と、並んでいる二人の男子が私に背を向けたままなのに気付き、近寄ってみると後席の生徒の教科書をのぞき込んでいます。一冊を三人で見てるんです。「教科書忘れたのか?」私が聞くと、なんとその三人は失くしたと言うのです。忘れたというのなら注意もできますが、失くしたと言われたら返す言葉もありません…。

私は気を取り直してビシバシ授業を続けました。ところが当てても皆「単語がわかりません」と平然と答えます。「辞書引け!」すると教室全体に戸惑ったような雰囲気が。「どうした?」そう聞くと、何人かが「中学の時以来使ってないしなぁ…」「家のどっかにはあると思うけど…」とヤル気のない返事。そうこうしているうちにふと見ると、後ろの方にいる一人の女の子が鏡を出して堂々と髪をとかしています。私は怒りを抑えて鏡をしまうよう注意をするも無視。「鏡をしまえ!」私はこれ以上ないくらいの大声で怒鳴りました。やっと彼女は渋々鏡をバッグにしまいましたが、その間ずっとガンを飛ばしてました。

こうして私の高校デビュー(?)一日目は散々な結果で終わりました。それでもその後四ヶ月間私なりに奮闘したんです。少しでもわかるようにしたいと意地にもなってたんでしょう。時々私は「お前たち、もっと努力したらどうだ」と説教しました。すると彼らはお決まりのセリフ「だって先生、ここは○○(学校名)だよ!」と自分たちの学校名をあげるんです。学校にプライドが持てない。どうせこんな学校(の生徒)なんだからと自分達の不勉強を学校のせいにするんです。

ただ問題は先生たちも「ウチの生徒はやる気がない、ダメだ」と決めつけていることでした。「ウチの生徒はクズだ」とまで公言する教師もいました。