教育研究所ARCS

【第8回】マスコミさんホントはどうなのよ

塾長奮闘記

マスコミさんホントはどうなのよ

このように塾通いを日本の伝統的なおけいこ事(習い事)という文脈の中に置くとわかりやすいと思います。建前(意識的)は「学校だけでは不安だから」「入試があるから」塾に通っているけど、本音(無意識)はおけいこ事の延長線として、学校よりも自由度が高くエネルギッシュな塾にひかれて通っている。だから小中学生の多くが塾通いを選ぶのでしょう。

ところで私の塾では生徒にアンケートを取って、塾に入る前と後の印象を聞いています。それによると入塾前は「厳しそう」「宿題がたくさんあって大変そう」という不安の声が多い。しかし入塾後の感想は「思ったより楽しい」「先生の話が面白い」「授業がわかりやすい」とほとんどの生徒が肯定的に答えます。これは20年来変わらないんです。

断っておきますが、ここで私は自分の塾を宣伝したいわけじゃありませんし、学校より塾が素晴らしいと言いたいのでもありません。一部のマスコミや評論家が言うように、多くの子どもたちが「塾通い」をムリヤリあてがわれているとか苦痛だと感じていることはなく、それなりに「楽しく」通っているということを現実としてお伝えしたい。この「それなりに楽しい」というのがポイントでこれこそ多くの子どもたちが塾通いをやめない理由なんですね。

もちろん子どもたちが塾通いを大変と全く感じないわけではなく、小学生なら他の習い事との調整、中学生なら部活との両立など時間的な問題に悩まされるし、また中学受験をする小学生や高校受験をひかえた中3生などは相当の重圧と闘わなければならないのは事実です。自分に合わない塾を選んでしまった場合の苦痛もあるでしょう。

生徒が塾を楽しいと感じる理由

では、大変でありながら楽しいと生徒たちが感じる理由はどこにあるのでしょう? 私はそれを「自由」「活力」だと言っています。むむ、自分で言っておきながらわかりにくい…コホン。簡単に言うと塾は強制でも義務でもなく行っても行かなくてもいい。いつやめてもいい所です。民間教育で習い事の一種なら当たり前ですよね。そしてこの自由があるからこそ逆に塾独特の活性感もあるんです。生徒や親は、どの塾へ行くかを選んだり、嫌ならやめる自由をもっているので塾・先生はいつも授業や指導力に磨きをかけていなければという緊張感が漂う。その一方で、塾も指導方針などに基づいて生徒を選ぶ権利がある。時には学校より厳しい規律や課題を生徒に与え、生徒は「塾生」である以上誠実に答えねばという雰囲気はこのように生まれます。

では塾はやはりギスギスした場所なのかというと必ずしもそうではありません。まず塾の先生は例えば内申書を書くとか、受験校の推薦状を書くという力をもっていません。いわば公的な「権威(力)」がないので生徒をひきつけるには、授業技術や指導力、人間的魅力という個人技に頼らざるを得ない。どんな理想論を吐こうと、高まいな教育論を語ろうと生徒がついて来なければお話になりません。

だから塾講師というのは「先生」という仮面をかぶってちゃダメ。「先生」という職業的権威だけでは生徒はついて来てくれないんです。一個の生身の人間としてわかってもらう必要があるんですよ。たとえベテランであろうと、合格させた実績があろうとそんなものは通用しない。毎年生徒は「新しい」わけですから。逆に生徒は「こんなこと言っても大丈夫だろうか」と塾ではあまり遠慮する必要がないので、お互いわりと本音で話します。うまく行くと「入試合格」や「成績アップ」等の目標を一緒に目指す「仲間意識」みたいな連帯感が自然と生まれてきます。

この、お互い本音でぶつかり合うという塾ならではの交流が独特の「活力」―エネルギッシュな雰囲気―をかもし出しているんです。そこから「大変だけど楽しい」という感想が出てくるんでしょう。
実はこの本音で生徒と交流できるという点こそが、私が塾講師になった理由なんです。