教育研究所ARCS

【第3回】コピーは酒屋でね

塾長奮闘記

コピーは酒屋でね

こうして始めた塾講師ですが、もちろん当時の私はこれが一生の仕事になるなどとは夢にも思わず、あくまでバイト感覚でしかありませんでした。時期が来たら辞めるつもりでいたんです。

家賃タダと引き換えに

しかしひょんなことから辞めるに辞められない状況に。私が大学院進学と同時に結婚することになり、そのことをたまたま「本部」で話した時、これもたまたま居合わせた経営者が

「それはちょうどいい。今度足立区に教室が出来る予定だけど、一軒家まるごと空いているのでそこに住んだらどうか。」と言うのです。

「新居は決まってないんだろ?」私が頷くと、彼は当を得たりという表情でたたみかけてきます。

「一部屋を教室にしても夫婦二人住むには十分だ。家賃は家主にかけ合ってタダにしてもらおう。生徒や親も先生が住み込みだと信用してくれるし」
気が付くと、私は深く考えもせず承諾していました。私も学生結婚なので、学費や生活費を稼がなくてはならない身です。そんな私にとって「家賃タダ」という言葉はかなり魅力的でした。悪魔のささやきですね(笑)。

こうして結婚生活を「塾」でスタートさせた私ですが、何と集まった生徒はたったの十数人(うち中3は二人)。拍子抜けもいいところでした。でも生徒数は少ないとはいえ私が小4から中3まで全員を全教科一人で見るわけですから大変です。特に数学など徹夜で予習したこともありました。何しろ私は文系ですから数学はできないんですよ(笑)。ところがそんな私でも驚くほどできない生徒ばかり。だから彼らのために、色々工夫しましたよ。かみ砕いた手作りのプリントを作って、近所の酒屋まで走りそこの有料コピー機で人数分コピーしたり…。えっ、何で酒屋かって?当時はコンビニがまだほとんどない頃で、酒屋とか文房具店にしかコピー機が無かったんですよ。あと、小学生にはテストができたら赤いシールを壁に貼ってあげたり、一人ひとりに手書きで通知表を作ったり、まぁいろいろ面倒見たわけです。

今度は私もかなり気合が入ってました。もうあちこちの教室に派遣されることもない代わりに、この教室専従なわけですから失敗は許されない。全て私の責任です。頑張りましたよ。生徒はと言うと、彼らも私の期待にこたえてグングン伸びた!…と言いたいところですけど、これが全く効果が表れない(笑)。何しろ小さな一軒家で、講師としての研修も受けたことがないアルバイトの若造が教えるわけですからね。ま、できる生徒も一人二人はいたんですが、大半は学校の授業にやっとついていけるかどうかのレベル。完全に補習塾でした。

中1のサカマキ君

中でも忘れられないのは中1のサカマキ君という生徒でした。授業中もトロンとした眼で、当てても全く答えられない。問題を解かせても手が動かない。「こりゃダメだ」そう思って私は彼だけ授業後残して教え始めました。例えば数学なら-5+2=-3という問題を黒板に図を書いて丁寧に説明する。で、「-5+1は?」と聞くと答えられない。どんなにかみ砕いて説明しても彼はわかってくれない。そういうことが続き、私もカッとなって彼の頭をポカリ。生徒に手を挙げるなど許される行為ではありませんが、当時私も若く何とか分かるようにしたいという焦りがつい行動に…。ところがサカマキ君は殴られても動ぜず、逆に上目使いにじっと私を睨み返すのです。ちょっと不気味でした。元々体も大きく中1には見えない子でしたけどね。彼のふてぶてしい態度に私も逆上してまた頭をポカポカ。中1ですよ。普通なら泣いたりするでしょう? 彼は絶対泣かないんです。でも相変わらず答えはわからない、と。
ある晩ついに私は宣言しました。「もういい、帰れ。俺がどんなに教えてもお前はわかろうとしない。塾もやめろ、明日お母さんに話すから。」ところがその瞬間、彼は私に取りすがって「お母さんに話すのだけはやめて下さい!」と言うのです。

※2005年当時に書かれたものをそのまま掲載しておりますので、文中の年数が現在と異なる部分がございます。