教育研究所ARCS

【第5回】よい塾は優秀な講師が多い!

塾選びで失敗しない方法

塾選び

優秀な講師は授業技術だけではいけない

評判のよい塾とは例外なく優秀な講師の多い塾である。これについては、生徒や親の側が思う「いい先生」と塾が評価するよい講師の間に多少のズレがあるかもしれない。

一般に「よい先生」のイメージは、授業がうまく魅力的で、生徒の相談にも親身に応じてくれる温かい人柄の持ち主であろう。だがこれは当たり前であり、塾ではさらに強いリーダーシップが要求される。「結果」を出さなければならない塾において、多数の生徒を「成績アップ」「入試合格」という具体的な目標に向けて引っぱっていくには、勉強したくないという生徒の意思を上回る強力な指導力と個性がなくてはならないからだ。

塾側が評価する優秀な講師の条件は二つある。教科指導力と管理能力。いずれにも共通するのはリーダーシップである。

教科指導力は第一に、担当する教科に対する興味関心、知識の広さ深さが要求される。しかし、実情は違う。私は学校教師の経験もあるが、自分の教える教科に本当の意味で関心をもっている同僚はめったにいなかった。

多くの塾講師は入試問題の解答解説には関心をもっても、学問的興味までもつ者は少ない。講師が強い興味関心をもっていないでどうして生徒に勉強意欲をもたせることができよう。

誠実な塾は教科会などで技術的研究だけでなく、自らが担当する教科の最新学問研究の情報について議論したり、生徒が興味をもちやすい分野―たとえば幾何の歴史やコンピュータグラフィックを使っての図形や関数─の研究を怠らない。また授業のシュミレーションなどをやってお互いに研さんする。教え方や解説法というテクニクルな力だけでは生徒のモチベーションを向上させることはできない。

もう一つの条件としての管理能力とは、生徒をがんじがらめにすることとは逆である。勉強から逃げようとする生徒に対して、勉強から逃がさず一定の目標に向けて、タイミングよくモチベーションを与えていく地道な指導力である。たとえば生徒というのは概ね勉強に対して受け身である。やる気のない生徒に対しては「俺もそうだったけど…」と一応共感することで心理的一体感をつくることも必要だ。そしてここぞというタイミングで「勉強」の道に連れ戻す。このタイミングを誤ると一気に「更生」への道が遠のいてしまうこともある。

また講師は生徒に教えればよいというものではない。質問に来た生徒に答えを教えてしまう講師がいるが、時にそれは危険である。受験時など1人の講師の前に10人くらいの生徒がノートやテキストを抱えてズラリと並ぶ光景は圧巻だが、問題はそういうときの講師の姿勢である。

「こうやって解くんだよ」と教えることは簡単だ(何しろ後ろにも大勢ひかえている)が、この生徒が一体どこまで理解していてどこからが分かっていないのかを瞬時に把握し、「もう一度、直角三角形の合同条件を思い出してみろ」とか「不定詞の形容詞的用法を確認してごらん」とヒントを与えることの方が大切なのだ。生徒の理解状況や勉強姿勢に応じてヒントを小出しにする先生の方が優れているのだ(実際ヒントしか与えないと、何度も訊きに来るので講師の労力は大きいのだが)。ところが考えたくない生徒には、答えを教えてくれる先生の方がありがたかったりする。答えを言ってくれる先生の方が、生徒や親にとって「親切ないい先生」と誤解されることも多い。

本当の親切は相手に迎合することではない。「目先の点数を上げる」ことよりも、いかに長期的な力─将来に渡って自信となるような─をつけられるかを常に考え実践するのがよい講師である。

アルバイト講師が多いからダメとはいえない

「アルバイトの先生は多いのですか?」ときかれることがある。「アルバイト講師=頼りない、責任感に欠ける」、「専任講師=ベテラン、教える技術が優秀」という漠然とした思い込みがあるのだろう。確かに全く根拠のない話ではないが、アルバイト(主に学生)でも優秀な講師は優秀であり、専任でもダメな講師はダメなのだ。塾講師には優秀な講師か優秀でない講師かの2種類しかいないのである。次に話すのは私の失敗談である。

塾をスタートさせてからしばらくの間は、アルバイトの学生講師を多く使っていた。テキストやテストも手作りで、生徒が帰った後、ああだこうだと言いながら深夜まで皆で作業した。授業のやり方や宿題の出し方をめぐって明け方まで議論したり、時にはつかみ合いに至ることもあったが、私も若く彼らも若かったから苦労だとは思わず、むしろ独特の活気が支配していた。

そのうち「学生」でありながら私に代わって保護者と個人面談をこなしたりする者まで出はじめた。保護者や生徒も彼らを信頼し、指名して個人的相談を持ちかけるようになった。

彼らの献身的努力のかいもあって塾の評判も上がり、順調に生徒も増えていったのである。そうなると講師を増やさざるを得ない。意を決して専任社員を雇い入れた。ところがこれが失敗であった。

彼らはいずれも一流大学卒の秀才である。授業もソツなくこなし、テキスト作りも嫌がらない。但し「職務」として決められた範囲から出ることもなかった。だが問題はここにあるのではない。彼らには共通の重大な欠陥があった。

成績が伸びない、宿題をやってこない、やる気がない原因を全て生徒が悪いからだと考えてしまうのである。確かに成績が悪いのは本人が勉強しないからだ。しかしやる気のない生徒に様々な工夫をこらして「やる気」を出させるのが講師の使命だという自覚が彼らには欠けていた。「だめですよ、やる気ないんだから」と切り捨てたところで何の解決にもならない。

色々話し合ったりもしたが、結局改まらない。そのうち生徒や保護者からも不満の声がきこえてきた。散々罵倒され怒って塾を辞めた生徒もいた。

その時この窮状を救ってくれたのも、アルバイト講師だった。当てにならない専任より、再びアルバイト講師たちと前向きな生徒指導について語り合うことにした。こうした「改革」が効を奏し、また昔の活気が塾に戻った。この「改革の嵐」の過程で、専任講師たちは孤立しやがて相次いで教室を去っていった。

この経験から私は、意欲のない専任講師より、優秀なアルバイト講師の方がはるかに良いことを思い知らされた。ただ辞めていった専任講師の名誉のためにつけ加えると、彼らは塾講師として全く無能だったのではない。彼らは学校秀才だったので、宿題などやるべきことをやれと言われたにも関わらず平気でやってこない生徒がどうしても理解できなかったのだ。

授業をこなすだけでは終わらない。本当は生徒に意欲をもたせることこそ講師としての醍醐味なのだという積極的な気持ち、つまり情熱なり使命感が欠けていたのだ。

以上の話から私は、塾えらびの基準として単にアルバイトより専任が多いから安心だという考えは安易だと思うのだ。

ある程度以上の規模になると当然専任講師は(講師に限らず事務職も)必要になる。その目安はだいたい生徒数300人ぐらいだろう。これより多い生徒数を擁していながらアルバイトばかりというのは確かに不安だ。経営者の中には安く雇えていつでもクビの切れるアルバイトを多く抱えることで、人件費を押さえようとする者もいる。しょっちゅう講師が辞めて「出はいりの多いところ」という評判がない塾かどうかチェックしたい。

まとめ

  • よい塾は優秀な講師が多い。
  • アルバイト講師が多いからサービスがよくないとは言えない。
  • 真に優秀な塾講師は情熱と使命感がある。
  • 優秀な講師は教科指導力と管理能力に優れている。
  • 人柄が良く授業技術がうまいだけでは優秀な講師とはいえない。リーダーシップが必要。