教育研究所ARCS

【第1回】勉強させる塾か、遊ばせるだけの塾かを見分ける方法

塾選びで失敗しない方法

塾選び

なんとなく通うだけでは成績は上がらない

首都圏では現在中学生の80%以上、小学生の50%以上が塾に通っている。この数字は景気の好不況によって多少の変動はあるが、この数十年基本的に変わらない。背景に「学校だけでは不安」という親の気持ちがある。実際いまの小中学校では教える内容や教材の質量はともに大幅に低下している。

しかも全体に学力が低下しているので学校の成績はマアマアでも、自分の学力がないことに気づかない。

ところで塾に行けば本当に学力はつくのだろうか。残念だが実は塾に通っている生徒の8割は学力が上がっていない。つまり塾に行ったおかげで成績が伸び、学力がついたと実感できる生徒は20%程度。5人に1人の割合である。5人に1人は成績が上がるのならいいと思う人もいるかもしれないが、これは大体の数字であり、塾によっては行っても全然上がらないか、むしろ下がる生徒の方が多かったりする。

通塾率

どうしてこういうことになるのか。原因は二つあって、一つは生徒・親の側の問題。あと一つは塾側の姿勢の問題である。

まず生徒・親の問題から話すと、背景に塾通いの大衆化という問題がある。先にも言ったが中学生の80%以上が塾に通っている。塾に行っていない子の方が少数派なのだ。そして小中学生の場合、あまり遠くの塾に行くことはない。だから当然その地域にある塾は同じ学校の生徒も多い。その結果塾によっては顔見知りばかりということになる。

特に大手塾を選ぶ子は「友人が行っている」という理由で入るケースが圧倒的だ。結果、塾へ行っても「学校の延長」と化し、そこには勉強するのだという緊張感が欠如している。

今の子どもたちは勉強したくて塾に行くわけではない。「皆が行っている」から、自分だけ行かないと遅れてしまう気がして行く子が多いと思う。だからこういう子たちは知り合いがたくさんいる塾へ行くのである。

このように肝心の塾へ行く動機が勉強そのものではなく、安心を得たいためという子が大部分である以上、学力など身につくはずがないのである。子どもまかせは無責任と言える。

塾に行っても成績が上がらないのは親にも責任がある

私たちはこのような生徒を「なんとなく組」と呼ぶが、「なんとなく組」は親にも責任がある。「なんとなく組」の親は、塾に通わせようと考えながら塾を訪問せず、塾えらびを子どもに任せてしまう。こういう親は大抵「家は子どもに任せていますので…」と言う。要するに子どもの自主性を尊重し、子どもの尻をひっぱたいてまで勉強をつめこませるような親ではないと言いたいのだろう。
だから塾の情報収集をすることで自らの手を汚したくないと考えている。その結果、年間30万から50万の授業料をドブに捨てるのである。
現在多くの塾は、親の期待に反して「遊び場」と化している。確かに違う学校の子と塾で友達になったり、情報交換をしたり、昔と違って遊ぶ場や時間の少なくなった今の子どもたちにとって塾が一種の「社交の場」になっている側面は必ずしも悪いとは言えない。
しかしそれは一生懸命勉強した結果として得られるべきものである。「初めに遊びありき」では本末転倒で、当然「学力」はつかない。

「社交場」と化している塾は大手に限らない。むしろ小規模な塾ほど緊張感に欠けていることが多い。個人塾に代表される小規模塾のメリットはクラスの人数も少なく融通が利くところにあるが、それがかえって先生と生徒の馴れ合いを生む原因にもなっている。

さらに小規模塾にありがちだが、教室がほとんど丸ごと同じ学校の生徒に占められていたりすると、よほど指導力のある塾でない限り学校の放課後のようになり勉強どころでなくなる。ひどいところになると授業中でも生徒が私語をやめず、途中で抜け出す、友人同士帰りにコンビニなどで遊ぶなど崩壊状態に陥っているところもある。管理不在の塾である。住宅街などにはこの種の塾が多いので注意したい。それでも親は子どもが塾で勉強していると思い込んでいるのだ。実に無駄な話である。当然ながらこのような状況では学力は上がらず、むしろ下がるのである。

良い塾は宿題を出し、親に報告を欠かさない

このように「なんとなく組」は、親も子どもも互いの体裁を整えるために「塾通い」の形をとりつくろっているに過ぎない。いわばアリバイ作りである。私はこの場合きちんと塾をチェックしない親に問題があると思っている。

ではそのきちんとした塾をどうやって見極めればよいのか。これは塾側の姿勢を問うことになる。いくつかのポイントがあるが、誰でも簡単に調べられる目安を一つあげたい。

その目安とは「宿題を出すかどうか」だ。崩壊状態の塾は宿題も出さないところが多い。だから宿題を出さない塾はやめることだ。

次に宿題を出すにしてもその生徒の宿題をきちんとチェックしているかがポイントになる。実は講師にとって一番大変なのが宿題チェックである。宿題を出しても全員が誠実にやるとは限らない。生徒によっては全くやらなかったり、やってもいいかげんだったり、ごまかしていたりといろいろだ。それを講師は素早く見抜いて、適切に指導しなければならない。改めない子に対してはゴマカシ癖がつかないうちに居残りを命じてやり直しをさせるなど罰則を与えることも必要なのだ。

授業のテクニックよりもこのように勉強習慣をつけさせるための地道な指導の方が講師にとって難しくエネルギーがいるのだが、生徒に愛情をもっていれば当然避けて通れない仕事なのである。

宿題チェックだから塾がたとえ宿題を課していても、このようなアフターフォローがなければ意味はない。大手塾などは、宿題は出すがきちんとチェックしないところが多い。特に1クラス30人以上もつめこんでいる塾は物理的に全員のチェックは無理だ。生徒も最初はこういう塾でも緊張しているから宿題があればやって行く。ところがやってもやらなくても何のチェックもないと、生徒の方もばかばかしくなりやって行かなくなってしまう。せっかくやってきても何の見返りもないのなら、安易に流れてしまうのは仕方ないことだ。こういう塾はアリバイで宿題を出しているだけだ。生徒のせいにはできない。

ところで塾が宿題を出すのは言うまでもなく生徒をいじめるためではない。何よりも「授業の定着」が目的なのである。私の経験から言っても、生徒は授業を聞いただけでわかったつもりになってしまう。皮肉なことに先生の授業が上手でわかりやすければなおさら、生徒は聞くだけで満足してしまうのだ。そして次に当てると、忘れていたり問題が解けなかったりなど、教えたことが身についていない。

これは塾講師に限らず生徒を教えたことがあるなら誰でも痛感することと思う。授業で習ったところを確実にするためには、宿題を出すのが一番確かだ。従って学習機関で宿題を出さないところは、生徒に学力をつける気のないところである。

だから塾が宿題を出すからといって安心するのではなく、フォローをしているかも見極めなければならない。だがこれも簡単にチェックできる。フォローをしている塾は親にも子どもの様子を報告するからだ。宿題忘れやいいかげんな態度の生徒に対してはそのことを電話なり面談などで連絡してくれるはずだ。こちらから訊かなければ教えてくれなかったり、宿題の提出状況を答えられない塾は当然失格である。できれば提出状況を文書で定期的に報告する塾を選びたい。

教育者としての責任感と誇りをもっている塾や講師なら生徒の学習態度は最も気にかかる問題で、放置することは教育者の良心が許さない。生徒の学習意欲をはかるバロメーターは宿題のやり方にこそ表われることを知っているからである。

目先の点数より将来を見据えた学力をつける

ところで、子どもを塾に通わせる親は塾に何を期待しているのだろうか。もちろん成績を上げるため、入試に合格するため、あるいは勉強習慣を身につけるためなどであろう。いずれにしても学力の向上が目的であるに違いない。

しかしそれなら何によって「学力」が身に付いたか判断できるのだろう。ふつうは学校の成績やテストの点数などで測るのではないか。だが、学校の成績やテストの点が必ずしも「学力の中味」を反映していないとしたらどうだろうか。「テストの点だけでは本当の学力は分からない」などという一般論を言いたいのではない。

実はこの十数年、学力の定義そのものが変わってきているのだがその背景には社会的要請がある。この話は長い説明が必要だが、思い切って要約すると「覚えれば良い」から「答えに至る考え方」重視の転換である。

一般に学校や塾のテストは知識の量を問うものが中心だ。定期テストなどは成績評価を楽に行うためどうしても○×式になりやすい。だが丸暗記の知識はテストが終わると忘れやすく、また応用がきかない。要するに「考える力」が育ちにくい。

このことに社会-企業や大学または研究機関-のほうが危機感を既に抱いていて、もはや知識丸暗記型の人間より柔軟な考え、発想を持つ人の養成を急務と考えている。

そしてそのことが実は近年の入試問題の変化を急速に促している。たとえば都立高校の独自問題や千葉県立高の2回入試制などは、明らかに受験者の知識の量ではなく考え方を問うためのものである。同じように国公立大学、レベルの高い私立高校なども近年の入試問題は記述論述主体、すなわち「考える力」「表現する力」を試すものに変わっている。

だから今の時代子どもたちが身につけるべき学力は従来の暗記中心、つめこみ型の学力ではなく、幅広い興味関心と柔軟な思考力そして自分の考えを要領よく的確に表現する能力こそが求められているのだ。

親(生徒も)はとかく学校の定期テストや通知表を気にしがちだし、多くの塾も相変わらず覚え込む勉強を強要しているが、そのような「目先の勉強」は間近の高校入試や大学入試にも通用しないし社会に出てからも困ることになるだろう。

真に子どもの将来を考えるなら、目先の点数より長期的な展望に立った「本物の学力」をつけることを教育方針に揚げる塾を選ぶべきだと思う。

まとめ

  • 多くの塾は子どもたちの「遊び場」になっている。なんとなく塾に通うだけでは成績は上がらない。
  • 「近いから」「友人がいるから」という安易な理由で塾を選んではいけない。
  • 子どもに塾えらびを任せる無責任な親は授業料をドブに捨てることになる。
  • 「勉強させる塾」の目安は宿題を出し、かつそのフォローをしっかりする塾である。
  • 子どもの宿題提出状況を答えられない塾は信用できない。
  • 良い塾は子どものデータを親に定期的に報告する。
  • 目先の点数を上げる塾より、子どもの将来を見据えた教育方針をもつ塾に通わせたい。