教育研究所ARCS

【第4回】番長と喫茶店

塾長奮闘記

番長と喫茶店

そりゃあビックリしましたよ。私に殴られてもビクともしないあのゴツいサカマキ君が、お母さんに話すと言っただけでこうまで取り乱すなんて。
※サカマキ君とのお話は「第3回 コピーは酒屋でね」をご覧ください。

「お前そんなにお母さんが怖いのか?」
「怖いんです。だからお母さんに言わないで下さい。僕一生懸命やりますから…」
そう言ってブルブル震えているんです。意外でした。

というのも居残り補習をやるようになってから一、二度お母さんが私にお礼を言いに来たんです。すごい美人のお母さんで、全然サカマキ君に似ていない(笑)。その上妙に若く優しそうで、そんなお母さんのどこがサカマキ君は怖かったのでしょう。いまだにわかりません。もっとも家庭の事情は様々なのでサカマキ君の家庭も他人にはうかがい知れない複雑な事情があったのかも知れませんね。

結局サカマキ君はその後も私の塾で勉強を続け、一年後にはわずかですが成績の向上も見られました。しかし中2の夏になると欠席がちになり、やがて来なくなりました。私も強いて彼に来るように説得しませんでした。サカマキ君は中2になってから素行が明らかに悪くなっていたからです。当時の不良ファッションというのか、額の両わきに剃り込みを入れ、ダブダブの制服を着て、子分を引き連れて塾に来たりしていました。遅刻も日常茶飯事で、いかにもウソ臭い言い訳をします。タバコ臭いので注意すると「いやぁ、この服オヤジの部屋に置いといたからオヤジのタバコの臭いがついたんでしょう。」とイケシャアシャアと答えるのです。

最初の挫折体験

当時の私は正直、彼がやめてくれてホッとしました。塾も二年目に入って生徒数も伸び、30名近くになっていました。だから素行が悪いサカマキ君の存在を心のどこかで迷惑に感じていたのは事実です。しかしさらに一年後、サカマキ君の後輩の塾生からサカマキ君が『番長』になったこと、足立区内の不良グループでも敵なしという存在で暴力団関係者とも付き合っていることなどを聞いた時、背筋に冷たいものが……。
もし当時、サカマキ君にもっと塾に来るよう説得していたらちょっとだけ違っていたのかなと考えたりもして、少し胸が痛みました。

振り返って見れば、「一生懸命やれば必ず生徒は答えてくれる。そして生徒との交流が楽しい」と安易に考えていた私にとって、サカマキ君とのことは最初の挫折体験であり教訓にもなりました。

挫折といえば、この時期モリ君のことも忘れるわけにはいきません。彼は中1から三年間塾に通い、都立の工業高校に合格した子です。とてもおとなしい気弱そうな男の子で、何か聞いても恥ずかしそうに顔を赤らめ頷いたりするシャイな子だったなぁ。できる子ではないけれど、宿題は忘れないし塾も休みません。ほとんど私と会話はなかったんですが問題のない子でした。ところが卒業間近になって驚くべき事実が発覚。モリ君のお母さんが真っ青になりながら駆けつけて来て言うには、「中3の後半からモリ君は家出をするようになった。友人の家などを泊まり歩いてそこから塾に通っていた」と。もちろん私は全然知りませんでした。だって塾は休まず宿題は忘れず模範生だったんですから。しかし話はこれだけではなく、学校でささいなことから三人がかりで担任教師を殴って重症を負わせたというショッキングな事件も明らかになりました。

結局モリ君は示談成立後少し遅れて卒業証書をもらい高校へ進学。ところが半年もしないうちにモリ君は高校を退学してバイト先の喫茶店で働きたいと言い出したんです。私はお母さんに説得を頼まれてその喫茶店へ出掛けて行きました。そこで見た彼の姿はとてもイキイキと輝いているじゃありませんか。

「やぁ先生、お元気ですか?」

モリ君は塾では見せたことのない晴れやかな表情で私に挨拶します。私は再びショックを受けましたね。―実のところ私は本当の彼を全然見ていなかったんだ。「目立たない問題ない子だ」と思い込んでいた私はなんて甘かったんだろう―と。私は説得する気持ちも失せ、ただ心を込めて「頑張れよ!」と伝えました。
彼は大人びた口調で「先生もお元気で。弟をよろしく。」と、塾生である弟を案じて言ったのでした。

※2005年当時に書かれたものをそのまま掲載しておりますので、文中の年数が現在と異なる部分がございます。