教育研究所ARCS

【第12回】僕のハナくじかれる

塾長奮闘記

僕のハナくじかれる

学校が悪くて塾が良いと言ってるわけじゃありませんよ。そう聞こえるかも知れないけど(笑)。表現するのは難しいですが、塾では私が学校で経験した先生と生徒の相互不信―お互いに期待していないという壁のようなもの―は感じませんでした。塾の方が先生も生徒も「本音」を吐ける場だと私は感じたんです。と言って私が最初から生徒とうまくやれたわけじゃありません。

先にも言ったように私は流山(江戸川台)にある塾でも教え始めました。昭和57(1982)年の1月でした。生徒数300人くらいの進学塾で対象は小・中・高にまたがっていました。初日にこんなことがありました。私が中学生のあるクラスで授業を終えて廊下にいると、今教えてた生徒たちが出てきて、私の目の前で他の講師に私の授業が分かりにくいと訴えるんです。小声でしたが女の子が二、三人そう言ってるのがハッキリ聞こえました。また、中3の女の子と面談した時「何かヤル気が出ない」と言うので、もう受験生なんだからそんなこと言ってちゃダメだと注意したんです。すると彼女プイと横向くので、「何だその態度は」的な叱り方をしたんですがフテクサレたような態度で帰って行きました。直後に母親から電話があり「先生、もっとうまくやって下さいよ」と不服そうです。私にも言い分があるので「いやぁ、宿題もやらないし困るんですよ」と反論。しかし母親は「受験をひかえてちょっと不安定なんです。だから先生、うまく…お願いしますよ」と電話を切ったんです。この時のお母さんのたしなめるような少し苛立った声のトーンは今だに忘れません。

思春期の女の子は難しい。まして受験をひかえて不安定になっている。先生なんだからその辺をもっと配慮して指導してくれないと…。そうお母さんは言いたかったんでしょう。私はアルバイトとはいえ塾と高校でキャリアを積んでいたし授業や話術には自信がありました。母校の教育実習でも私の授業は「わかりやすい」と生徒たちに好評でした。しかしこの塾では初日に「わからない」と言われ、親から苦情を受ける始末。でもこのことがショックだったわけではないんです。そりゃ良い気持ちはしませんよ。ただ(強がりに聞こえるかも知れないけど)こうハッキリ指摘されると、かえってさわやかな…妙にスッとした感じでした。

思えばキャリアといっても、足立区の時は個人塾みたいなものである意味慣れ合いな所があり、高校では「先生は絶対」で少し分かりにくい位で苦情が来ることもない。知らず知らずの内に私も天狗になっていました。「学校の教師は何でも生徒のせいにする」とエラそうに批判しておきながら、私自身も教師ヅラをしていたことに気付いたんです。

またこういうこともありました。この塾では教室にビデオカメラを設置していたんですが、ある時経営者(塾長)に私の(高校生対象の)授業を映したテープを見せられました。彼は「君はテキストを見たままずっとしゃべってるが、」と言って画面の端に頭だけ映っている生徒を指し「この生徒は聞いてないじゃないか」と私に指摘。その生徒が時々隣と小突き合っているのは授業中気付いていたんです。でも昼間教えてる高校ではそれはまだマシな方。それで注意しなかったんですが、塾長はこう言います。「親は毎月毎月多額の授業料を払って子どもを通わせている。だからきちんと授業に集中させる義務がある」私はそれでも反論。「いや、小中学生なら分かりますが高校生にもなって自覚がないと…」それに対して彼は「関係ない。授業に集中させるかどうかは指導力でしょう」と言います。

指導力! そうか、指導力か!と私はあっさり納得(笑)。指導力が欠如していれば結局生徒のせいにして逃げる他ない。まして授業料を取っている以上「生徒にヤル気がない」からと生徒を責めることはできない。全力で「指導力」を発揮しなくては。私の学んだことは当たり前のプロ意識に過ぎないかも知れませんが貴重な教訓でした。少しでも気を抜けば即座に苦情や叱責が飛んで来るこのレスポンスの早さは私にとって刺激的でした。

この塾には2年半の在籍でしたが、塾講師として絶対に必要なことを学ぶ実り多い時でした。