【第4回】本当にめんどう見の良い塾は「めんどう見」を売りにしない
「めんどう見」という言葉は商品カタログに過ぎない
「商品」がいまひとつ明確でない学習塾業界にとって「めんどう見」は打ち出しやすい商品である。一般的に「めんどう見」を誇大に宣伝する塾はめんどう見が悪く、逆に「めんどう見がよい」と近所でも評判の塾はめんどう見を売りにしない。
理由の一つは、めんどう見の良し悪しはあくまで塾の生徒なり親なりが後で感じる感情だからであって、塾側がめんどうを見てやったと宣伝すべき性質のものではないからだ。
感情であるからには、同じサービスを受けてもAは「良かった」と感じ、Bは「それほどでもなかった」ということがあり得る。たった一言のアドバイスでも喜ぶ子がいる反面、繰り返し面談したり相談に乗ったりした割に感謝されないこともある。だがそれは仕方がないこと。相手が判断することであって、こちらから強要するものではないからだ。
さらにもう一つ言うなら、めんどう見の良し悪しは比較相対的なものだということである。全然めんどうを見ない塾から移ってきた生徒の場合など、ちょっとしたことで感激したりする反面、初めからその塾に在籍していた生徒は当り前のことと受取っているケースもある。つまり他の塾を知らないから塾のめんどう見のよさをかえって認識できないのだ。
生徒の学力を上げ入試に合格させるためにあらゆる手を尽くす。結果として生徒、親から感謝される。塾にとって至福の瞬間である。そこに「めんどう見イズム」などという商業主義の入り込む隙間はない。
要するに「めんどう見」のよい塾ほど自らの職務を売りにすることに強い抵抗を覚えるものである。
夜10時に明かりが消える塾はめんどう見が悪い
- ①生徒や親と良いコミュニケーションをとる
- ②ボランティア精神があり、正規の授業外に工夫を凝らしたイベントを行っている
- ③補習、特別講座がタイミングよく行われる
大体この3点が効果的に組み合わさって始めて「めんどう見」が実感として認知されると見てよい。一つでも欠けると、本当にめんどう見のよい塾とは言えない。
まず①であるが、先生と生徒、塾と親、講師同士、経営者と職員各々のコミュニケーションが円滑でないと生徒に対するサービスの質も悪くなる。
コミュニケーションというのは一方通行ではない。たとえば先生が「しっかりやれよ」とか「宿題忘れるなよ」と生徒に声をかけるだけではコミュニケーションが成り立っているとは言えない。こういう言葉がダメだというのではなく、言葉をかけるにしても講師がその生徒の背景的情報─授業態度、得意・不得意、親の性格、家庭状況、学校や部活での立場等々─に無知なまま声をかけても、生徒からすれば単に「説教」されているとしか感じられない。
この背景的情報を得るためには講師間のコミュニケーションが欠かせないため、日頃から講師が生徒の情報を日常的に交換できる環境がシステムとして整っていなくてはならない。
コミュニケーション技術に優れている塾を見分けるには、授業の直前か直後に塾を訪問してみるとよい。講師が廊下に出て生徒たちと自然に談笑しているようなら一応合格。特に帰り際、生徒が講師を取り囲んで質問など活発に行っているなら、その塾は信用できる。講師が誰も生徒と話をしていないようなら要注意。授業以外で講師が生徒と接触したがらない塾はまずダメと見てよい。
同様に授業が終わったら講師がさっさと帰ってしまう塾も失格だ。めんどう見のよい塾は授業終了後、生徒の質問に答えたり宿題忘れの生徒の居残りを手伝ったり、さらに情報交換のためのミーティング、反省会などを行う。もしこの日生徒が50人いたのなら、50人分について生徒の理解度や授業態度について話し合う。当然帰りは遅くなる。もし夜の10時か11時で教室の明かりが消えてしまうようなら、その塾はめんどう見のよい塾ではない。
信頼できる塾は親との個人面談を欠かさない
その塾が真剣に生徒の「めんどう」を見ようとしているかどうかは、どのくらい頻繁に保護者とコンタクトしようとしているかを見ればよい。
通り一遍の電話や面談ではなく、子どもの塾での様子や教科の理解度、テスト結果などの成績はもちろん、その子のための個別課題などを親と直接会って説明しようとしない塾は信用できない。効果的な指導をするためには直接親と向かい合う必要があるのだ。親もまた我が子を直に教えている講師と言葉を交わすことで、あらためて子どもを客観的に理解でき、塾の姿勢も伝わってくる。
塾と親のコミュニケーションの目安は、学年ごと、クラスごとに全体保護者会が年に1~2回、個人面談も最低年に1~2回行われていること。その上で月に1回くらいは電話などで報告があるのが望ましい。またこの他に月ごとに子どものデータ(塾の出欠回数、テスト結果や順位、担当者の所見等)が文書で郵送されるかどうかも大切なポイントである。
しかしこのようなことは最低限のことである。きちんとした塾なら、欠席した場合の連絡や登下校時の安全対策(講師による塾の見回りや事故に備えての保険加入など)も徹底しているはずだ。これらのことは、実際に通っている生徒や親などに確認すればすぐにわかるはずである。
子どもの知的好奇心をひきだすエ夫をしているか
さて「めんどう見」の基準②であるが、教育で一番難しいのは勉強を教えることではなく、やる気を起こさせること、すなわち「動機づけ」なのだ。学歴信仰の崩壊や世情の変化によって、「一生懸命勉強する→よい学校に行く→社会的成功、安定した生活」という図式が成り立ちにくい現在、勉強自体の面白さに目覚めさせる方が、今の子どもたちにとって必要である。
補習は適切なタイミングで行ってこそ効果的
補習・補講を頻繁に行う塾は良心的であると前に言ったが、生徒のために本当に必要だからやっているのか、単に塾のアリバイとしてやっているのか区別しなければならない。生徒が授業がわからないと訴えたとしても即座に補習するのではなく、本当に考えた末なのか、単に甘えているだけなのかをまず判断すべきである。
(1)英語の関係詞、数学の関数など、多くの生徒が授業だけでは消化しきれないことがわかっている分野を学習しているとき
(2)修学旅行や部活等学校の行事で、大量の生徒が塾を欠席した時に進んでしまった分野
(3)新入会生やクラス移動した生徒の進度調整のとき
(4)学校の定期テスト対策を行うとき
(5)中3受験生に対して志望校別の対策を行うとき
(6)それなりに努力しているのに理解が遅い生徒に対して、担当講師が親と相談して行うとき
(7)努力不足の生徒に懲罰的に行うとき
いずれにせよ大切なことは、普段受けもっている講師が教室長や同僚講師と綿密な相談の上、責任をもって補習することであり、決して生徒や親に迎合してアリバイ的に行う性質のものではないということである。
「一応めんどうは見てますよ」というポーズをつくり、実は生徒を閉め出すような塾の手口にひっかかってはいけない。よく「質問室」とか「質問コーナー」などを設けて、さも積極的に生徒の質問に答えているかのような塾があるが、その意図はむしろ生徒に質問させないことにある。大手塾などでは質問を受けつけて遅くまで講師を残すと残業手当や超過勤務手当を払わなければならないので、チューターと称するアルバイト要員や授業をもつには力不足の講師を研修を兼ねて形式的に配置しておくのだ。
何度も言うが「めんどう見」とは塾にとって効率を犠牲にしたところで成立するものだからこそ、生徒や保護者の感情に訴えるものである。
他にも「担任制度」「個別対応」「親身な指導」「カウンセリング」などは「ことば」だけあってその実何も機能していない塾が多い。これらのめんどう見グッズにダマされてはいけない。これらは卒業生に聞けばすぐ分かることだ。
まとめ
- めんどう見を売りにする塾はめんどう見という商品カタログをつくっているに過ぎない。
- めんどう見の良し悪しは塾が宣伝することではなく、通った生徒や親が感じることだ。
- 夜10時か11時に講師が帰ってしまう塾はめんどう見が悪い。
- 本当のめんどう見は
①コミュニケーションをよくとる
②通常授業以外のイベントをよく行う
③補習がタイミングよく行われるという
3条件を満たすものでなければいけない。 - めんどう見のよい塾は親との個人面談を欠かさない。
- 子どもの知的好奇心をひきだすためにボランティア精神あふれるイベントを行うのが真のめんどう見だ。
- 「質問室」「担任制度」などのめんどう見グッズにダマされてはいけない。