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連載小説 明け方三時の戦争

第一話 明け方三時

写真の中で、祖父だけが、手の置き場所をまちがえている。

復員兵の慰労会だろう。四十人ほどの男が、三列に並んでいる。前列は腕を組み、後列は気をつけをして、みな同じ顔でこちらを見ている。その二列目、右から三番目に、祖父はいる。一人だけ、両手を胸の前で組んでいる。神社で拝むときのような、あるいは、置き場所を失くした手を、とりあえずそこへ預けたような、おさまりの悪い組み方だ。

私が知っている祖父の顔は、この一枚きりだ。会ったことはない。私が生まれる二十年も前に、彼は死んでいる。

祖母は、祖父のことを一度だけ話した。私が中学生のころだ。「あの人は、明け方の三時を過ぎないと、眠れない人だった」。それだけ言って、口をつぐんだ。父は、何も話さなかった。父は祖父に殴られて育ち、祖父が死んだとき、泣かなかったという。それも、祖母から聞いた。

どの家にも、開けてはいけない引き出しがあるのかもしれない。私たちの家では、それが祖父だった。

その引き出しが開いたのは、父の葬式のあとだった。

実家を畳むことになり、私は押し入れの段ボールを開けていた。保険証券。色の褪せた年賀状の束。誰のものとも知れない通帳。その底に、油紙にくるまれた、手のひらほどの帳面があった。表紙に「軍隊手帳」とある。墨の字は、半分は雨にでも濡れたように滲んでいる。けれど最初の一行だけは、はっきり読めた。

黒木省吾。

祖父の名だった。

それから半年、私は祖父を調べた。最初は、ただの手なぐさみのつもりだった。公文書館に問い合わせ、史料の閲覧室に通い、軍歴の写しを取り寄せた。同じ名の別人に何度も突き当たり、部隊名の判読でつまずき、それでも断片は、少しずつつながっていった。

祖父は、昭和十四年の夏、関東軍の一兵士として、満州とモンゴルの国境にいた。

ノモンハン。

その地名なら、教科書で見た覚えがある。「ノモンハン事件、一九三九年、日本軍がソ連軍と衝突」。たしか、それだけだった。日露戦争には何ページも割かれていたのに、その一行は、すり傷のように小さかった。勝ったとも、負けたとも、書いていなかった。

私はそのとき、まだ何も知らなかった。

陸軍病院のものらしい診断書の写しが届いたのは、調べはじめて八か月目だった。

黒木省吾。所属。生年。そして病名の欄に、見たことのない言葉があった。

戦争神経症。

軍医の名は、三宅、と読めた。所見の欄には、細い字でこう記されていた。

「夜間、不眠ヲ訴フ。発汗著シク、シバシバ叫声ヲ発ス。火ヲ見ルコトヲ極度ニ怖ル」。

火を見ることを、極度に怖れる。

明け方の三時まで眠れなかった祖父の、その理由の入口に、私は立った気がした。だが、それは理由ではなかった。理由の、さらに奥にある影だった。火。祖父は、火の中にいた。あるいは、火を、誰かに——。

そこで、私は考えるのをやめた。やめたかった。けれど、やめられなかった。

ここから先は、私が見たわけではない。残された記録と、同じ戦場にいた人々の回想から、私が組み立てたものだ。だから、これはフィクションだ。けれど、フィクションでなければ書けない本当が、たしかにある。

昭和十四年、七月。ハルハ河の東。

二十二歳の黒木省吾は、浅く掘った穴の底で、両手に瓶を抱えていた。

サイダーの空き瓶に、ガソリンを詰め、口を布で押し込んだものだ。それを、戦車に投げる。そう命じられていた。

省吾は旭川の在で生まれた。小作の家の子で、兵にとられる前は、馬の世話をしていた。馬のことなら、何でも分かった。腹を立てた馬を鎮めるとき、首のどこに手を当てればいいかも、指が覚えていた。

戦車のことは、何も知らなかった。

地の果てから、それは来た。土煙の中を、黒い鉄の塊が、いくつも、ゆっくりと、しかし確かに近づいてくる。地面が震えていた。震えているのが地面なのか、自分の膝なのか、省吾には分からなかった。瓶の腹に、手のひらの汗がにじむ。ガソリンの匂いが、鼻の奥を刺した。

隣の穴に、同じ村から来た男がいた。何か言った。砲声で聞こえない。男の唇が、かあちゃん、と動いたように見えた。

将校が叫んだ。「突っ込め」。

省吾は、瓶の口の布に、火をつけた。

布の先が、ぱっと明るくなる。手が震えていた。馬の首に当てた、あの静かな手では、もう、なかった。

そのあと何が起きたのか、記録はほとんど語らない。

数字だけが残っている。省吾のいた連隊は、八月の終わりまでに、ほとんど消えた。瓶を抱えて立ち上がった兵の多くは、鉄に届く前に倒れた。

そして、私が調べていていちばん信じられなかったのは、ここからだ。

日本は、この戦いに負けたことを、国民に知らせなかった。新聞は皇軍の奮戦を伝え、内地へ還される負傷兵には、戦況を口外することが固く禁じられた。負けたという事実そのものが、消された。だから祖父は、自分が何のために死にかけたのか、勝ったのか負けたのかすら知らされないまま、次の戦場へ送られていく。

今度は、中国大陸へ。

省吾は、生き延びた。

生き延びて、海を渡り、そこで、火を極度に怖れるようになる「何か」を、した。あるいは、された。あるいは、その両方を。

私には、まだ、そこまでは書けない。その夜のことを書くには、もう一人、別の人の側からも見なければならない。火をつけられた側の。その村に、その夜、いたはずの、誰かの側からも。いつか、その人にも、名前を与えなければならない。

調べているあいだ、私はずいぶん本を読んだ。古い回想録も、新しい研究も。

そうしてたどり着いたのは、たった一つの、静かな理解だった。

戦場で人がいちばん深く、いちばん長く傷つくのは、撃たれたときではない。自分の手で、誰かを殺したときなのだ、と。傷は、撃たれた側だけでなく、撃った側にも残る。しかも、そちらのほうが、長く膿む。

つまり、こういうことだったのだと思う。

祖父が壊れたのは、祖父が怪物だったからではない。逆だ。祖父は、人を殺せるようにはできていない、どこにでもいる男だった。その男が、瓶を抱えて戦車に向かえるように、やがては村に火を放てるように、作り変えられた。だが、作り変えられてもなお、彼のいちばん奥に残っていた、人間のままの部分が、それを許さなかった。

だから、彼は眠れなかった。明け方の三時まで、四十年、毎晩。

それは、彼が人でなくなった証ではない。

最後まで、人だった証だ。

私は、祖父に会ったことがない。

殴られた父が、なぜ泣かなかったのか、いまも分からない。開けてはいけない引き出しの奥は、まだ暗いままだ。

それでも、ひとつだけ、思うことがある。

祖父は、何が自分をそうしたのか、ついに知らないまま死んだ。負けたことさえ知らされず、自分を壊したものの正体を見ないまま、毎晩、三時の闇の中で震えていた。彼には、それを知るすべが、なかった。

私には、ある。

八十年のちの私には、記録があり、研究があり、調べる自由がある。祖父を壊したものの名前を、その仕組みを、私はたどることができる。そして——これは祈りに近いのかもしれないが——知ることが、何かを変えるのだと、私は信じたい。

殴られた父は、私を殴らなかった。鎖は、父のところで、もう細くなっていた。あとは、私がそれを断てばいい。

そのためには、まず、知らなければならない。本当のことを。ただ、それだけだ。

明け方の三時に、私は今夜も起きている。けれど、私が起きているのは、怖れのためではない。

夜明けが、もうすぐ来るからだ。

(第一話 了)